続けていくことの大変さと大切さ
また、酔っ払っている。二人でビール大瓶6本呑んだ。
今日は友人をよんで、家の片付け、結局、物置本体を壊すところまで至らなかったが、周囲のガラクタを片付けたら、狭い庭がほんの少しモノがなくなっただけなのにずいぶん広くなった気がした。この調子で進めていけば、全部片付いてやがては新たに家が建てられるのだと意を強くした。
街は変わり、人も変わる。世の中、永遠に続くことなど何一つなく、いつ何が起きてもおかしくない。
話は変わるが、このところ、昔からなじんだ行きつけの店の閉店が相次いでいる。たとえば、飯田橋の崖の上のキッチン・アミノとかなのだが、安くておいしくて居心地の良い昔ながらの食堂が、ある日突然なくなってしまう。利用してきた者としては本当に困る。閉店を知ったときまさに愕然としてしまった。せいぜいギンレイへ通うとき、二週間に一回程度の利用に過ぎなかったわけだが、行きつけの店がなくなって、これからいったいどこで昼飯を食えばいいのか、未だ途方にくれている。
このところ相次いでいる都心の老舗的商店の閉店についてはまた稿を改めて書きたいと思っているのだが、新しくできた店でも、あっという間に潰れてはまた新たな店へと移り変わりが甚だしい。
駅前の繁華街に新しい店が出来、そのうち入ってみようと気にしつつ横目で通り過ぎているうちにすぐに潰れてまた新たな店舗が入っている。実にめまぐるしい。おそらく三ヶ月もたたないうちに次々と入れ替わっていく。
思うのだが、どうしてもっとせめて1年でもじっくり腰をすえて商売をしないのだろうか。そうすれば、いつしか固定客もつくだろうし、地域に根ざして新たな展開も図れるかもしれない。まあ、資本の論理というようなものがあって、賃貸料や人件費を考えると、三ヶ月程度でここは儲かるか儲からないか、その答えはすぐに出るのだろう。でも、商売というものはそれで良いのだろうか。何か心得違いをしているような気がする。
自分も商人の端くれ、その「ようなもの」として、つくづく思うのだが、商売というのは、個人が始めるものだが、その個人だけのものではなく、たぶんにいつしか「公的」なものになっていく気がする。つまり、利用する者の数だけ、その人たちのものになってしまうのだ。
商売でも何でも長く続いて、多くの人がそれを利用すれば、自然と当初の一個人だけのものではなくなってしまう。かといって「責任」をやっている人だけに負わせるわけにはいかない。長く続けたからといって、これからも続けなくてはならないという義務はないからだ。
そのへんの関係が実に難しい。商売なのだから、ボランティアではない。儲からなくなったら仕方なくやめざるえない。でも、古本屋だって、儲け以前に何か人のために役立っていると思える。それはこんなブログだってそうだと思える。
もう、何年も続けてきた。古本屋だってこれからも続けていく。何度も終わらせることは考えたし、このブログもこの夏、一ヶ月休止した。わかったことは、やめることはいとも簡単だ。どんなことでも日々続けていくことはそれなりにプレッシャーになるし、気楽ではない。
しかし、先に書いたように、始めたことで、どこかでそれを楽しみやアテにして訪れてくる人がいるわけで、勝手気ままに個人的理由で突然やめては訪れてくれる人に申し訳ない。
「公的」な意識は必要だとは思わないし、それは驕りだろうが、今の時代、安倍前首相にみるように、本来責任ある人がいとも簡単に何かを辞めてしまうことがたやすいのだから、何よりも続けていくことの大切さが問われているように思える。
自分はやめない。終わらせない。生きていく限り、平均寿命でいうならば、あと25年はこのブログの条件が許す限り毎日書き続けていこうと思う。毎日付き合ってくれなくてかまわない。今、読者がいようといまいとそれは関係ない。
やめること、終わらせることはたやすい。大切なことは、どんなことでも続けていくことだ。やがてはいつか、その先に何かが見えてくるかもしれない。未だ人生というものがよくわからないが、人生だってきっとそうだと思う。大切なことはともかく続けていくことなのだ。違うかい?
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by masdart.corp
| 2007-11-27 21:31
| 閑話休題
またまた消しゴムかけと・・・
疲れが溜まっている。昨晩、改築工事を担当する大工さんと電話で話して、今後のおおよその日程が出た。それについては別項で書くが、今日はまた消しゴムかけやらで腕は痺れるほど痛くなっている。
先に、書き込みが多い本は、それを消すのに時間をとられ、労多くして儲けが出ないからもう絶対扱わないとこの場で書いた。ところが、またしても売れた本に、そうした鉛筆での書き込みが多々あり、仕方なく泣きたい気持ちで2時間以上かけて消してから発送した。もうバカバカしいので時給換算はしないが、またもや第三世界的儲けであったことは確かだ。
先に書いた決心は、新たに出品しないという意味で、実はまだその手の書き込みが多い本は他にもアマゾンに出品されていたのである。それが昨日売れて、確認したらば「あちゃー」と思い観念して消しゴムかけにまた専念した。
本は、とある大学薬学部の過去問題集である。表紙が赤いので所謂「赤本」と呼ばれるやつだ。この手の本は意外に需要があり、元々の値が高いこともあり、年度が新しければたいがい出せばすぐに売れてしまう。各大学の薬学部ごとに10冊程度括ってあった束の中の最後の方の一冊で、売れ残ったのは、鉛筆で書き込みが多かったからで、いつしか売値も下がり1年ぐらい経ってようやく売れたのである。
古本屋の職業病というと、聞く限りではやはりぎっくり腰やら、腰を痛めることが一番多いようだ。本や雑誌という重たいものを日々扱い持ち上げて運ぶことが多いからだろう。だが、自分の場合、腰よりも今は腕にきて、ペンを握って文字を書くことすらままならないほどだ。
そう、その一番の理由は消しゴムかけなのである。腱鞘炎気味といってもいい。これはマンガ家などに多い病気で、やはり昔かかったことがある。ふつうは古本屋がかかる病気ではないと思う。もちろん、その他に家の片づけで毎日本類を移動させるため運んでいるからでもあるが。
しかも今日は、その合間に、車を車検に出すので、あまりに汚かったので、数年ぶりにシャンプーつけて洗ってブラシでこすってこびりついた汚れを落とした。軽のワンボックスでも屋根まで洗うのはかなりの重労働だった。そんなこんなで、両の腕はパンパンに張っている。※だんだんこのブログ、愚痴ばかりになってきましたね。いかん遺憾!
明日はまた友人を招いて、借りてる倉庫にガラクタや本の束を運び込む予定だ。そして時間があれば、ようやくだが、ボロ家の「物置」を一部でも壊すことにとりかかろうと考えてる。ようやく、ようやくついに「解体」を始めるのだ。
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by masdart.corp
| 2007-11-26 21:31
| 本・古本
有閑主婦と退職親父向けの店
今日はこのところの冷え込みもようやく和らぎ、いくらか暖かく楽だった。
まだ11月だというのに、真冬の寒さが続いて、夜になると暖房のないボロ家では、パソコンに向かうことすら大変で、ダルマのように着膨れて何とか寒さを防いでいるのだが、手がかじかんでしまいギターさえこの一週間弾く気が起きなかった。かといって、朝は寒くてなかなか布団から抜け出せず、寒くなると一日の作業量が劣って忙しいのに困ってしまう。
今年の夏の暑さも想定外だったが、寒いからといってもはやそれは言い訳にできない事態なのだ今は。
さて、前回の話に関して、質問があったので、自店舗について少しだけ書いておこう。増坊は自店ではいったいどんな本を売りたいのかという話だ。
古本屋とは本来、それぞれ店ごとに特色ある品揃えがあるものなのだが、ネット古書店の場合はその傾向がさらに強い。なぜなら本の仕入れ及び保管の関係からも幅広く多種多様な本を扱うことは難しく、その人ごと(店ごと)関心あるジャンル、好きな趣味や詳しく専門的なことに関した品揃えへといきおい特化せざるえないからだ。
最近はどうか知らないが、ちょっと前の一時、プロの本職ではない一個人によるネット古本屋のブームがあって、雨後の筍のようにインターネット上に古書店のサイトが次々と誕生した。
その品揃えで一番多いのが、いわゆるサブカルやアングラ、及び幻想文学など、寺山修司や横尾忠則、澁澤龍彦とかその周辺の人たちの希少な目な本を高めの値で並べて店主の審美眼がいかんなく発揮されている店で、増坊も古本屋としてカッコいいなあ、と憧れの目で眺めていたが、いかんせんそんな商品はどうあがいてもウチでは揃えられない。そしてその知識も仕入れる資本もない。
意識していなかったのだが、結局は増坊の好きなこと、興味や関心のある範囲の本しか並べられず、それがウチの場合いつしか特色となった。何かというと、料理やお菓子作り、手芸、園芸、童話、犬などのペット飼育、旅行紀行などに関した本なのである。
男として少し恥ずかしいことだが、自分は料理作りが好きで、人並みよりは得意のつもりもある。今は時間がないから作らないが、ケーキ類なども焼いてみたいと考えている。そんなで、いつしか料理ガイド本が集まった。不器用なので編み物やミシンなどはやらないが、自ら手作りでカゴを編むとかは好きだし、ハンドメイドで何でも作ってみたいし関心が強い。
つまり世間で言う、「男オバサン」なので、古本屋としての品揃えはそうした女性的傾向となっしまった。実際、購入者の七割方は女性だと思える。実は本当に好きなのは「音楽」なのだが、それらの本は今のところ商売として売る気はない。
これからは、団塊の世代が大量退職するのに合わせて、中高年男性向けの「趣味」にも照準を合わせたいと考えている。一昔、「主婦の店・ダイエー」というキャッチフレーズがあった。さしづめ、それに倣えば「有閑主婦と退職親父の店」と言えようか。
自店舗の方、きちんと再開した暁には、買わなくて良いので、ぜひその棚を覗いてほしい。今、それに向けて大量に在庫だけは揃えてあるのだから。
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by masdart.corp
| 2007-11-25 22:15
| 本・古本
思い出配達人としての古本屋の役割
この本は、先日、自店舗の方で売れたもので、購入されたのは、和歌山県在住の女性の方。おそらく現在絶版となっていて、確かアマゾンのカタログにも載っていなかったと思う。この方はネット上をあちこち検索して、偶然当店の在庫リストにあることを発見し、問い合わせてくれたのだ。以下、当人のご了解を得て、この本に関する思い出を載せさせてもらいました。
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「はりきりうさぎさんのドキドキお菓子絵本」は、小学校の時に移動図書で借りた本です。かわいいイラストと素敵なお菓子、夢中になって読んだものです。
あれから、かれこれ20年、結婚し、子供もあの頃の私と同じ歳に成長しました。
最近、昔に自分が読んだ本や聴いた音楽を子供達にも教えてあげたくて、あれこれネットで探しています。
今回、見つけていただけて本当に嬉しいです!
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この方からは、このメールの後にも詳しく子どもの頃の家庭環境について教えて頂いた。
抜粋すると、小学六年生まで、両親が教育上好ましくないとの理由で、自宅にテレビは置かれていなかったが、ちっとも困らなかった。なぜなら、「絵を描いたり、手芸をしたり、本を読んだりと豊かな時間を過ごせていたからです。両親共に本好きで、遊園地は連れて行ってくれなくても、図書館には連れて行ってくれました。本好きに育ててくれた両親に感謝しています」。
そしてお菓子研究家の書いた本を読んでから、お菓子や料理に興味を持つようになったこと、「料理することは家事の中で一番好きです。働いているので、毎日とはいきませんが、時々手作りのお菓子を作って子供達のおやつに出しています」。
「和歌山市内なら古本屋さんはありますが、私が今住んでいる町にはあいにく古本屋さんがありません。しかし、自宅にようやくパソコンを置いてインターネットをする環境が整ったので、ネットで以前自分が読んでいた本を探すことができるようになりました」とあり、最後はこんな有難い励ましの言葉で結ばれている。
「活字離れが進んでいるといわれる中、本のお仕事をすることにいろんな事を考えられてしまうと思いますが、どうぞこれからも想い出の本、読みたい本を探しているお客様のために続けてください。
私もまたお世話になるかもしれません。その時は、どうぞよろしくお願いいたします」と。
このメールを頂いて思わず手を合わせてしまった。素晴らしい立派なお母さんだと思った。この方のご両親も立派だが、こんな母親に育てられたらお子さんはさぞ幸せだろうとつくづく思える。
古本屋とは単なるモノを売る商売ではない。本というものにこもった思い出も一緒に運んでいるのだった。儲かるとか儲からないという次元の前に、人のために、お役に立つならば、それだけでもこの仕事を続けていく価値はあるのではないか。
早く家を完成させて、また自店舗の方、しっかり本を揃えて、このお言葉を励みにしてもう一度頑張ろうと心に誓ったのだ。
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by masdart.corp
| 2007-11-24 21:41
| 本・古本
なぜか自店舗の方に注文が相次いで
今月ももうすぐ終わってしまう。今年はこんなに寒い冬となるとは、まさに想定外だったが、昨日もせっせっと倉庫に雑誌や本を運び入れた。もう心からうんざりである。
右腕は慢性的に痺れがきてまるで力が入らない。しかし、今さら投げ出したり中止するわけにも行かないので、ともかくやるしかないし、いつかは終わるのだのだと自分に言い聞かせくじけそうな心に鞭を打っている。だが、そうこうしているうちに借りている倉庫もほぼ満杯になってきて、さて、もし入らない分はどうするか、また新たな悩みとなりそうなのだ。
家作りの「近況」報告をまたしなければと思うが、その前に「商売」の話を少ししたい。
増坊は、今は家の改築のことで頭が一杯で、ごたごたあたふた毎日片付けに追われているから、落ち着いてパソコンに向かって古本屋のショップサイトをいじっているヒマがない。いきおい、もっとも出品に簡単で手間のかからないアマゾンの方への出品だけとなって、間もなく1年がたつ。つまり、昨年の12月から自店舗サイトの方は一冊の本も入力しないで、値段を下げたり調整することもなく、完全にほったらかし状態、管理放棄、ネグレクトにしてしまっているのだ。
いくら“末端”古本屋と名乗っていてもあまりに非道すぎる。ネット古書店業界の組合というものがあるならば、除名処分に値しよう。まったく自分でも情けないが、今は非常時だから仕方ないと逃げをうっている。実際、すべてをさておいて家のことが最優先なのである。
だから、Amazonマーケットプレイスの方だって、このところはろくに新規に出品も怠って、出品期間が切れた商品の再出品さえも滞り気味だから、当然注文がない日もあり、売れても一日に一冊程度という有様で、冬の京都旅行を考えるとかなり厳しい財政状況なのだが、もはやそれどころではないという諦め気分でもいる。
ところが、不思議なことだが、アマゾンに代わって今月は自店舗の方へ何故か注文が相次いで首を捻っている。ネグレクトしてしまってから、今年はこれまで売れたとしても月に1~2冊程度で、ときに1冊も注文も問い合わせもない月だってあったのに何が起きたのだろうか、三日にあげず注文が届いたり問い合わせがある。サイトがどこかで何かに取り上げられたのだろうか?
しかし、新たに本を投入していないから、もはや半分近くか、半分以上の本が売り切れ表示となってしまい、残っているのは誰も買わない残ったカスか、高すぎる値をつけた売れ残りばかりなのだ。それなのに、その中から落穂拾いのように、有難いことに次々と注文が届く。
もし、こんな調子で自店舗の方に反応があるならば、しっかり本を揃えてサイトを構築すれば、かなり繁盛するのではとつい甘い夢を考えた。まあ、ここにきて、何もしていないのに注文が続いたのは単なる偶然なのだろうが、ネット古本屋としては希望の兆しが見えたことは確かなのだ。しっかり本を揃えれば、アマゾンと二本立てで生活できるようになるかもしれない。
そんな中、ある古いお菓子作りの本に関して、お客様から注文由来をお聞かせ頂き大変心をうたれた。古本屋冥利に尽きる話なので、お許しを頂いたので次回その件について少し書きたい。このまま続けると長すぎるので・・・。
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by masdart.corp
| 2007-11-23 22:43
| 本・古本