稲作農家の時給は何と179円!
農業が、米作りがいかに食えないかを表す資料として、ある数字を挙げておく。これは某アカハタ紙が、農水省統計情報部に問い合わせして明らかになった事実で、昨年(2007年)度の稲作農家の家族労働報酬は、全国平均だと一日八時間だとした場合、1430円、時給換算にすると、何と179円になってしまうのである。
しかもこれは、平均であり、農家の規模別にみると、もっとも数の多い1ヘクタール未満の小規模農家では労賃は出ない。2~3ヘクタール未満で時給411円、5ヘクタール以上の大規模農家でようやく時給1500円となるとのことだ。
農業というものはそもそも時給では換算できないものだと思うし、一日八時間労働の枠の中で収まるものでもないからあまり意味はないとも思えるが、言えることはともかく米など作っても生産コストを下回るだけで、特に昨今の肥料と資材の高騰では、大規模農家といえどもよほどのブランド米でないかぎり実際には儲かるとは言い難いのではないか。
生産者米価は年々暴落している上に、WTOの農業協定により、ミニマムアクセス米として、問題となった外国産米を年間77万トンも輸入している。その量は国内消費量の10%近くにもなって、米の価格暴落に拍車をかけている。そして余って処分に窮した汚染輸入米が市場に出回り、今回のような騒動となったというわけだ。これはいったいどういうことなのだろう。米余りの国がなぜ必要もないのに外国から米を輸入しなければならないかわからないし、米を作っても農家はもはや儲けの出ない状態に何故なってしまうのか。まさに政治とは複雑怪奇としか言いようがない。
確かなことは今のままだと、国内では農業は米作りも含めて、儲からないが故にもはや誰も続ける者はいなくなるということだ。そして田畑や里山は荒れ果て、地方の過疎化は進み、一部の観光地や強い地場産業があるところ以外、都市部近郊を除けば僻地寒村には誰一人、人は住まなくなってしまう。
思うのであるが、政府は今こそ、資本主義の論理ではなく、愛国心と郷土愛を発揮して、各地方を、それぞれの郷土を守るべく、農家には大規模な価格保障と、地方維持のために特別な手当てをすべきではないか。農家でも何でも自己責任自助努力で何とかしろ、という政策では、もはやこの世界的に格安商品が流通する時代にはとても対抗することは不可能だ。儲かる儲からないという次元で何事も判断するのではなく、もっと別な論理、日本から農業がなくなってしまったら大変だという観点に立って、水田や里山の環境保全の役割も加味して、食料自給率を1パーセントでも高くしていくように、国を上げて努力すべき時に来ている。
そして、食の安全以前に、間違いなくこれからの時代は地球規模で異常気象が多発し、世界中で食糧危機が起こることは確実なのだから、諸外国からの輸入もいつまで続くか全くその保障は全くないわけで、今までのように多くを輸入に頼ることは国家として緩やかな死滅を意味する。もし、自民党の人たちが真に愛国者であるならば、国の将来のためにも防衛と同じく、食糧自給をまず念頭において、他国に依存することなく食料の自立を図り国内で100%の自給を早く確立すべきであろう。それこそが政治家の努めであり、この国の将来を託すことができよう。
個人的気持ちとしては、家も完成し、いろんなことが片付いて落ち着いたらば、東京でももっと田舎の方、例えば五日市や奥多摩の周辺、中央線沿線では藤野の辺りに土地を借りて、週末ごとに足を運んで、ささやかにでも耕作を始めて、自分が食べる最低限の野菜や米が作れたらと願っている。農業と言うのは、人が生きていくために欠かすべからざる大切な仕事だから、芸術などのあってもなくても良いようなものが存在するためにもまずその根底の部分を確立させる必要があり、ゆえに少しでも関わっていきたいと思うのだ。すべては飯が食えてこそ始まるのである。