自民党農政では日本から農業は消えていく
自民党総裁候補の面々方は、今日は佐賀の地で、農民たちを前に、日本の農業の保護を訴えていたが、笑止千万である。食の安全も含めて、ここまで日本の農家を国民をないがしろにしてきた輩が何を今さらどの面を下げて人前に出られるのか。格差と貧困の問題にせよ、それを引き起こしたのは自民党のやってきた政治であり、その責任はどこ吹く風で、当事者たちがまるで野党のように他人事のように改革、改革と演説している。よほどの厚顔か、国民を舐めているとしか考えられない。
日本の農業が今、壊滅的危機的状況にあることは誰もがご存知であろう。食料自給率の数字はもはや40%を切っている。これは先進国の中では最低である。日本は山の多い島国であり、農地が少なく、ゆえに食料は輸入に頼らざる得ないと、歴代の政治は金にならない農業よりも工業に重きをおいて、食物は安い外国から輸入し、鉄鋼や車などを輸出し外貨を稼ぐ政策をずっととってきた。
しかし、昨今の汚染米騒動や安全性の極めて疑わしい中国製の毒入り食品、米国産牛肉の狂牛病の不安など、外国産の食物の危険性が常に問題となっている今日、果たしてこのまま安易に外国産を輸入し続けるべきか、国民の多くが不安を抱いている。消費者心理としては安くても安全性の怪しい輸入食品よりも高くても信頼性の高い国産を選びたいと考えている人が多いはずだ。
だが、農産物に関しては、もはや国内の農家はほとんど廃業寸前なのである。理由は簡単で、労働の割には全然儲からないからで、一部の高級ブランド的価値が付いているフルーツなどはともかく、ありふれた一般的野菜などでは、中国をはじめアジアからの圧倒的に格安な輸入品の前にとても価格的に太刀打ちできないのである。
一部の高い関税で保護されている野菜はともかく、ありふれた野菜などつくって出荷しても儲けなど出ないから、増坊の住む東京の片田舎町でも農家はまだ存在はしているものの、農業というのは、その家庭で食べる程度だけ作るか、宅地並み課税を逃れるためのアリバイ耕作(工作)のようなものに過ぎず、そのほとんどの農家の実際の収入はアパート経営や会社勤めに頼っているのが現実なのである。しかもそれが可能なのは都市近郊の通勤圏での農業だからであり、地方においては、副業もままならず結果として放棄され荒れ果てた田畑水田がいくらでも見られる。奥多摩の山林だって同じだ。
僻地の農村では、儲からない農業に若者はさっさと見切りをつけ、残された老人たちがかろうじて農業を続けていたが、歳と共にそれも不可能となって廃村寸前の限界集落が増える一方で、過疎の問題も含めて、もはや農業には未来はないといっても言いすぎではない。それは漁業だって似たようなもので今のオイル高、燃料の高騰を前にしては出漁しても赤字となるばかりだと先日は漁船がいっせいに抗議のストをしたことも記憶に新しい。
資本主義の論理では、安いのが一番で、安く仕入れて高く売れればサイコーなわけで、外国から安く仕入れられて、それを多売すれば儲けも大きく、消費者も安く手に入るのだから一見この流通は良いことのように思える。実際、これまではそれで良かった。結果として国内産業が衰退し自給率がどんどん下がろうとも。
しかし、食の安全が脅かされ、外国産は怪しく信頼が置けないという認識が広がると、やはり国産と、そのニーズが高まる。しかし、既にこのシステムが完成されている以上、国内産業に対して根本的な保護の手が伸びない限り、ブームとして国産に人気が集まったぐらいでは、やはり農業、水産業に携わる者はそれだけで生活はできないだろう。
昨今の低賃金による不況社会では、安全だからといって高い国産食材に自由に金を使える人はごくごく一部のセレブだけなのだから、国内産食物を保護するためには、国家的規模において農水産業政策の抜本的転換を計らなくてはならない。