新米はおいひー
疑惑の事務所経費だけでなく度重なる暴言、失言でも名を上げた太田農水相が今日突然辞任した。一連の汚染輸入米事件の責任をとってということだが、どうせ任期はもうあとほんの少ししかないのだから、何を今さらであり、辞めるならもっと前に、自分の発言の責任をとってさっさと辞めるべきであった。まだ騒動の真っ只中であり真相は何も解明されていない。今ここで最高責任者が不在となってしまうのは、先に辞意を表明して、完全に存在感を消してしまった福田と同じくこれまた極めて無責任ではないだろうか。
いったいこの国の責任者は誰なのか。責任感のある政治家はこの国にいるのだろうか。次々と続く無責任な、職務投げ出し的辞任に、呆れてものも言えない、言葉もないと、繰り返し何度も何度も書いてきて、このやるせなさ、絶望感を表す的確な表現がないことにも失望してしまう。
こうした大臣、議員を長年選び続けてきた日本の国民というのは、お人良し以前に、オツムというか、メンタリティに何か根本的、致命的欠陥があるのではないか。あるいは、この大臣に相応しい国民だから、こんな政治が続き、大金持ちの政治家一族が代々政治を世襲していくのか。どんな騒ぎが起きようと、政治経済は大変な状態になっても総裁選遊説キャラバンは全国を駆け巡り、国民は選べないのに新総理に熱狂し、性懲りもなく国民はまたこれからも自民党政治を選ぶのだろうか。
いくら考えても自分の頭では理解できないのがこの国の政治であり、知る限り身近に自民党支持者も公明党支持者も一人もいないのに、いつまでたっても政治は変わらず悪政は続くのである。まったく謎でしかない。
さて、憤っても腹が減るだけだ。実は、このところ増坊家では、ピカピカの新米をたらふく食べている。貧乏なあの一家が何故? と目をむく方もいるだろう。実は、先日のこと、このブログの読者の方から連絡があり、その方の実家で収穫された今年の新米を約5キロも頂いたのである。
説明すると長くなるので省くが、拙ブログをご覧になって、ウチにある本についてお問い合わせがあり何度かメールでのやりとりはあったものの、実はまだ顔もお歳も何一つ知らない、当然お話もお会いもしたことのない女性の読者の方から、昨今の当方の窮状に心痛められ救援物資として贈呈されたという次第なのだ。本当に有難いことだと思っている。
顔も声さえも知らない、見ず知らずの方から貴重な新米を頂く理由はなく、大いに迷うところもあったのだけれど、つい新米の誘惑に負けて、ご好意はご好意として気持ちだけ頂くところをついずうずうしくも「本体」まで頂いてしまったのである。
新米というのはおいしいとは聞いていたが、貧乏性以前のリアル貧乏人としては高くてとても手が出なく、実はこの季節に食べた記憶がこのところずっとない。告白すると実の妹が九州の農家に嫁いでいて、その家でも田圃はあるのだが、新米がとれると農協に出荷してしまうから、ウチにも自作の米が送られることはあってもいつもトウのたった立った“新米”となってしまって、九州産ということも関係しているのか何だかちっとも美味しくない。
それが今回は本物の収穫されたばかりの新米が届いたわけで、炊いてみるとピカピカのまぶしいほどの輝きで、老親と三人で感嘆してしまった。もちろん味も記憶にある限り最高に美味しいお米であった。島根県産の、何という銘柄かは知らないが、お送り下さった方の優しい人柄まで偲ばれるような新米だった。
ネット社会には様々な弊害や悪意も多いが、少なくとも自分の場合は、このブログも含めて、インターネットで知り合った人たちは皆暖かい、素晴らしい善意の方ばかりで、食い詰めてパソコンを手に入れインターネットを始めなければ皆さんと知り合う機会もなかったことを思うと、本当に21世紀的福音であったと感動すら覚える。本当に有難いことだと感謝せねば罰が当たろう。早くお返しをしないとならない。
頂いたホッカホカの新米を食べながら、新聞の汚染米の記事を目にして、申し訳なくも思う反面、今回いやでも日本の農業についてあれこれいろいろ考えさせられた。もう二回ほどそのことについて少し書きます。