昨今の若者事情
増坊は常に後悔ばかりしてはまた過ちを仕出かしてしまうのであるが、このところのモットーは、何もしないで後悔するぐらいならそれをしてから後悔したほうがマシというもので、書いたことも後々常に悔やむことも多いが、どうせ後悔するならば書かないで後悔するより書いて後悔するほうが良いと割り切ってやっていこうと考えている。
さて、いつの時代でも若さとは馬鹿さに他ならないから、自らを振り返っても若者とは愚かである。それは、知識も経験値も足りなく、常識に欠け道理をわきまえず、要するに世知がまだないからなのだが、このところ知り合った70年代生まれの一群の人たちは、かなりマニアックで総じて大人であって感心させられることがなかなか多い。
彼らは自分が既に大人であった頃に生まれて、二十歳ぐらい年下の、現在30歳前後と思われる。昔はそうした年下世代とは縁も関わりもなく、会社勤めの人なら部下として知り合うこともあろうとも、居職のネット古書店程度では注文の客はともかく一切他人とは出会う機会もなかった。それがこのところのライブ通いで、演奏の後に、彼ら若手のミュージャンや、その場に居合わせた客として来た若者と話すことが多くなってこれまで得がたい機会が増えてきた。
例えば、今や売れっ子の岡大介君などは、自分よりも明治大正の演歌や演歌師に詳しく、日本のフォークソングも含めて多くの楽曲を自家薬籠中のものとしている。その知識も含めて、彼のように自分が彼ぐらいの歳ではとてもそこまで行けなかった時点に若くして達している人たちもいる。知る限りこのところ出会った若者たちは彼らが生まれる以前のことにも興味と関心が高く深く、年下世代であるのに逆に教えられることも多く感嘆させられるばかりだ。
一方、これは人伝てに聞いた話だが、今の大学生たちに、戦時中のドキュメンタリーやニュース映画を見せたところ、その中の一人から感想として「どうして右翼の音楽が流れているのか」と質問が出たという話もあって、笑い話にもできず困ったそうである。一部の若者には、軍歌というもの自体に認識も知識もないから、街宣車が大音量で流している音楽としか知らない。これもまた本末転倒と言うべきか。
ひところ、街頭などで若者たちに、日本が先の戦争でどこの国と戦ったのか、と問うたところ、アメリカと戦争したことすら知らないバカ者が多くいて問題となった。このところはどうか知らないが、ネット右翼の若者など、戦争とはいったいどういうものなのか、日本がアジアでいったい何をしたのか、その真実を知らずイメージだけで「戦争」に憧れているように思える。
バカ者ではない若者も知る限り多くいて安心する反面、自らが置かれている状況が認識できず、時の権力やマスコミに繰られるままに、構造改革なるものに踊らされたり、自己責任において自らはダメだと絶望的になったりしている可哀想な若者も多くいるのではないか。
彼らを啓蒙しようなどとは思わないが、ある時代があって、その時代を生きた者にできることは、それはどんな時代であったのか、何があったのか語り書き記すことであろう。でないと間違った知識や認識が広く一般化して後世の人たちに誤って伝わっていく。それもまた歴史に他ならなくはないが、過去の歴史から反省と教訓を学ばなければ、人類はきっとまた過ちを繰り返すだろう。
今日9月11日は、米国同時多発テロが起きた日であり、この日を境に世界の歴史は大きく変わってしまったことは言うまでもない。わずか7年前のことであるから、今の若者たちも記憶に新しく歴史として風化はまだしていないと思う。しかし、ここから米国による「テロとの戦い」なる報復のために「正義の戦争」が始まって、その結果亡くなった人たちは今までに何人になるのか考えねばならない。
同時多発テロでの犠牲者は日本人も含めて2749人、そしてその後の米英などが仕掛けた戦争でアフガン、イラクで死んだ兵士の数は合わせると既にその約二倍。さらに空爆や自爆テロなどで死んだ民間人の数はイラクだけでも15万人ともそれ以上と言われている。そして現在その両国に治安と平和が戻ったかどうかは先のNPOの若者殺害を見るまでもなく、未だ混沌として出口は全く見えてこない。
この数字だけを見ても人は、テロであろうと正義であろうと戦争によって何一つ物事は解決しないことを思い知る。戦争とは多くの人命を奪い資源を消費し国力を疲弊させるだけのものだ。そこから何一つ建設的、生産的なものは生まれない。残るは憎しみと哀しみ不発弾と瓦礫の山だけなのだ。人類は過去の戦争から一体何を学んできたのかと嘆息するが、だからこそ、一人ひとりが声を上げて知る限りの事実を書き記し後世にきちんと伝えていきたいと願う。