八王子“通り魔事件”に思うこと
このところ、地震が多いような気がする。昨晩も古家の方で、クーラー入れて深夜静かにギターを爪弾いていたら、窓ガラスや建具がピシピシと鳴りだして、あっ、地震だと思い、じっと息をを潜めて様子を伺うと、それがやたら長くて不安な思いでやりすごした。1分以上続いたと思う。朝起きて、テレビをつけたら果たしてまた東北地方で震度6強の揺れだった。
地震を感じるのはたいてい夜で、ベッドで寝ていても、気がついて目が覚め、揺れてるな、とは思うものの、起きて何するでもなく、ただ横になりながら様子をじっと伺うだけだから、本当に大きいのが来たら倒れてくる本棚と積んである本に押しつぶされて一たまりもないことは確実だ。ダメ古本屋の末路として新聞に載るだろうか。
それにしても地震というのは不気味なもので、先の中国でのレベルどころか、阪神大地震クラスのが起きたらまずこの家などこれだけ本とガラクタで重量、容量共に過多であるので、今だと古家どころか新館さえも倒壊してしまうことは間違いない。そこにいれば圧死だろうし、居なくとも家はもう住むことはできやしないだろう。しかし、それはそのときのことであり、おそらくそのときでさえも息を詰めてじっとただ様子を伺っていることだろう。
さて、ご存知のように先日のこと、またしても理不尽な通り魔事件が起き、何の関係のないアルバイト店員が殺されたり客が重傷を負った。
八王子は、増坊の隣町であり、その駅ビルの書店も知らない場所ではないので、先の秋葉原の犯行以降、同様な事件が起こるとは予想していたが、まさかあの町で、あそこでと大きなショックを受けた。もはや繁華街や盛り場でなくともいつどこでさえも凶行は起こるのだ。
報道によると、逮捕された犯人は、刃物があれば簡単に人を殺せると思い、誰でもいいから無差別に殺そうと思った、と言い、動機は、大事件を起こして親を困らせてやろうと思った、などと供述しているとのことだ。それが事実だとすればまさに言語道断であり、あまりにも幼い、身勝手な理由であり、バスジャックした中学生ならいざ知らず、これが30歳を越した“大人”の言うことだろうか。呆れ果てて言葉もない。彼には一切の擁護や同情の余地は全くなくすぐにでも死刑にしてしまいたいと今は自分も思わざるえない気分だ。
何の罪もない関係ない他者を、身勝手な理由により、誰でもよかったと命を奪い、被害者の家族の人生をも狂わせ、自らの一生も破滅させてしまう。だが、いったいどうしてこうした理解し難い悲惨な事件が次々と起こるのだろうか。
世間は、いい歳してなに甘えたことを言っている、と彼を憎み、極刑を強く望むからおそらく彼はやがて「死刑」となるだろう。が、彼を殺したところでまた必ずこうした無差別通り魔事件は再発すると断言する。
今回の事件の犯人は、肩書きは一応会社員とされているが、実際は派遣社員上がりであるし、生い立ちを見る限り、親に甘やかされて育ち、学校では落ちこぼれて不登校となり、社会に出てはフリーターや派遣と負け組として長く、孤独で対人関係が下手で友人もなく、もちろん恋人もなく、さらに仕事でトラブルがありストレスを抱えていたと、全く先の秋葉原の事件とほぼ重なる背景が垣間見られる。ということは、似たような環境にある、問題傾向を抱えている若者は多く存在しているわけで、二度あることは三度、またさらにあることは間違いない。
人間感情としては、犯人をすぐに死刑にすべきだと怒るのも理解できる。しかし、それで終わってはこうした、むしゃくしゃして誰でもいいから殺そうと思った、という事件は決して根絶できない。今回の事件を含めて、理解できない無差別通り魔事件は、犯人自身の個人的問題と捉えずに、もっと広く今日の社会が抱える病理と考えて根本的対応を取らない限り、何度でも繰り返す。※そのためには「蟹工船」時代から変わらない不安定な雇用形態を改め、あらゆる人が人として憲法に則り尊厳を持って生きられる共同社会を作っていくしかないと老マルクスかぶれは考えるが。
今、この国の社会は大きく揺らいでいる。日本安全神話は完全に崩れた。地震ならばまずはじっと様子を伺うしかないかもしれないが、今早急に国家を挙げて有効な対策を立てないとやがては街中で、家庭内で、学校であちこちで刃物による理解できない殺人事件が日常的に多発するだろう。