ひどく暑いかひどく寒いか眠られぬ夜が続く
時間はあの日から止まったままということはなく、気がつけば当たり前のように季節は移ろい、もう一年も半年が過ぎ、季節は初夏、7月に入っている。
事故に遇わせた子供の方は、先月25日に最終的な手術をして、開いていた頭蓋骨の部分にセラミックの蓋をしたと思われる。頭皮の移植手術はどうするのかわからないが、その傷が癒え、特に生活に支障が出るような後遺症が出なければ一応の退院となるのではないかと思う。
推測でしか書けないのは、このところこちらも病院には行っていなく、最新の詳しいことはそのご家族から聞けないので、あくまでも推測である。快方に向かっているとは思われるものの、こちらとしてはいちいち突っ込んで聞けないし、特に何かできることもない。
加害者という当事者ではあるけれど、治療に関してはあくまでもその家族内でしか担えないし、ここに至ってはこちら側はどこまで関わるべきなのかその責任の所在も含めて何をすべきなのか正直よくわからない。
生死の境も危なかった5月はともかく、6月中も半ばまで、その容態に関して一喜一憂で、ほとんど何一つ手につかなかった。それが何とか安定してきて光明が見え出してからは、親たちが体調を崩したり、自分も腰痛が出たりと、今回の心労が体に出たのか家族全員が体調を崩し、それが回復してもまだ何か忘れ物をしたような、落ち着かないような中途半端な気持ちのまま、6月は終わってしまった。
こちらが何もできず、何もしなくても月日が過ぎていくことは、子供にとっては無事に回復に向かっていることだと思えばそれも良いことなのだが、どうにも本来やるべきことになかなか身が入らず、常に喉元に小骨が引っかかっているような、あるいはみぞおちに消化されない異物がつかえているような気持ちが消えずに、どうしたものかと途方にくれている。
事故のことは起こってしまった過去のこととすっきり割り切って、少なくとも何かをしているときは忘れて眼前のことに専念すべきなのだろうが、不安ではないが、哀しみに似た憂鬱な気持ちはなかなか心から消え去らない。
今やるべきこと、人様との兼ね合いで懸案のことも山積みで、何をまずすべきかはわかっている。でも、人の心とは単純なのか複雑なのかわからないが、その被害者の女児がせめて退院でもしないかぎり、なかなか本当に“自分のこと”に専念できないような気がしている。だから何もかも中途半端な感じで、月日が経つことの嬉しさと焦りとか二律背反しているような気持ちでいる今7月の初頭なのだ。あれこれ考えるよりまずは行動あるのみだと思う。それはわかってはいる。ここをうまく乗り切って、まず一番に遅れに遅れてしまっている家のことを進めていかないとならない。
一昨日の晩のこと、夏風邪をひいたのか一日中少し寒気がしていて、だるいので風呂入って寝ようとしたのに、今度はやたら暑くて、かといって布団をはぐと寒くて、一晩中汗をびっしょりかいて明け方までよく眠れなかった。幸い予定していた作業も中止し、昨晩まで一日中ずっと寝ていたらようやく回復したが、きっと少し熱もあったのかもしれない。そんな晩、ずっと頭の中で流れていたのがこの曲で、1974年池袋シアターグリーンでのホーボーズ・コンサートのバージョンである。ピアノは芸大時代の坂本龍一だ。
悦子/友部正人
1年たってまた1年
景色はみるみる色褪せていく
君の青春も色あせた
新宿のかたすみで夜の景色になった
ひどく暑いかひどく寒いか
眠られぬ長い夜がつづく
残ったものはカラの酒びん
一生かかっても返せない借金の山
悦子よ君の女ともだちも
みんな結婚してしまいもういない
風の便りに聞いたなら
ひとりづつ子供もできたという
ひとり飴色の空を見上げ
悦子よ君は何を思う
自分の一生を重ね合わせても
まだはみ出してしまう淋しさのこと
《後略》