人生、報われる生き方
天気はまたぐずつき模様。萎えがちになりそうな気持ちに鞭打って、朝から起きて午前中に洗濯とか本の梱包、発送など「やらなくてはならない雑務」を終えて、午後からは自分のこと、つまり家の片付けに専念した。
幸田露伴の書いた処世術本を読んで気がついたのだが、グズでノロマな自分はやたら気が多く、あれもこれもとやるべきこととやりたいことが常に渾然一体となっていて結局どれにも集中できないうちに徒にあたふたと一日が終わってしまうのだと気がついたからだ。
確かに露伴の教えるように、《散る気》を克服しない限り、何事もなし終えることはできない。まずはともかく、必ずやらなくてはならないことを片付けてしまってから次の課題に取り掛かれば良いのである。今までは、本の発送はギリギリ夕刻まで後回しにして、それを気にしつつ他のことをやっていたが、確かにそれではどちらも集中できず中途半端となってしまう。
そんなことは当たり前だとお笑いになる方は、人生をきちんとできている人で、半世紀もだらだら生きていてもモノにならないダメ人間だからこんなことに気づかなかったのである。
露伴と言えば、漱石と並ぶ文豪であり、その博識は天才的と言われていたのは知っていても、その娘、文や孫の書いたものは愛読したが、正直彼の小説は文体が古過ぎ難解であまりきちんと読んだことがなかった。しかしこの本は、渡部昇一が現代語に超訳してくれているので実にわかりやすく面白く読める。露伴という超人の漢籍に裏打ちされた博学からつむぎ出される人生の処方は、まさに深遠かつ普遍的価値がある実証主義で、ただただ感心至極であった。
当たり前だがどんなことにでも「コツ」はある。仕事でも勉強でも料理でも掃除や片付けでもできる人というのは要するにそのコツがわかっている人、早く掴んだ人なのだと思う。もちろん持って生まれた才能や向き不向きもあるだろうが、うんと専門的な特殊技能の域まで行かない限り、基本は、スタートは同じであり、親や教師、先輩たちから教えられたりやり方を示されたりして、すぐにそのコツが早くつかめる人もいるだろうし、なかなかそのコツがつかめない人、ずっとわからない人もいるはずだ。また、人から学ばなくとも独学でそのコツを編み出していく人もいるだろう。
今問題としたいのは、「人生」というか、人の生き方であり、基本的定型は、学校を出たら就職してやがて好きな人と出会い結婚して所帯をかまえ、子供を生み育てるという漠然としたパターンはある以外、あとはどうにでも個々それぞれにカスタマイズの仕様がありすぎる人の一生にもやはりコツがあったということだ。
ただ、そんなコツは誰も教えてくれない。たぶん皆試行錯誤しつつしだいに掴んでいくものなのかもしれないし、見本となるような人生の師というような人物に出会えたら幸運かもしれない。
自分の場合、本来の身近な手本となる親がそろってダメだったし、明治生まれの祖母からは多くの格言を聞き、得た知識も多かったが、生活は共にしなかったので空念仏となって結局この歳までコツがわからないまま手探りで自分のフォームで勝手に生きてきた。
しかし今はそれが本当にめちゃくちゃであり、失敗だったと後悔している。先に挙げた基本パターンでさえ、最初からバカにしてきちんと学ばず横目にみて、そんなことしないでも何とかなるだろうと自由気ままにテキトーかつ無責任に人生航路に乗り出してしまった。
考えてみると、自分はオーディオ機器からパソコン、携帯電話に至るまで今までマニュアル書さえもろくに開いたことがなく、いつだってともかくテキトーにいじってみてそれで何となくわかったような気で実はよくわからないまま使っていたのである。マニュアルがあっても読まない人間が、マニュアルのない人生というものをうまく乗り切れるはずがなかった。その結果がこの顛末で自業自得とはこのことで、今まさに天罰が当たっているのであろう。
しかし、古本を扱う生業に就いて気がついたのだか、この世には実に沢山の人生指南書、生き方を説いた啓蒙書の類が溢れかえって、常時ベストセラーランキングにも顔を出している。ということは自分以外の人も、やはり人生に悩み生き方に迷いがあると思える。人生のコツがわからない人間が他にもやはりいるのだ。まあ、世界で一番ありとあらゆるガイドブックやハウツー本が出ている日本ならではだろうけれど。