何かを生業として飯が食えるとはどういうことか
皆さんのおかげさまで、腰の方は何とか収まってきた。わかったことは、痛めた当初は患部をまずは冷やし、少ししたら今度は暖めるほうが良いということだ。貼る湿布もだからひんやり冷やすタイプと唐辛子入りの暖めるタイプとを使い分けなくてはならない。その時期だが、しだいに冷やしても効果がないように感じてくるので、冷やすのは三日が限度だろうか。いつまでも冷やしているとかえって鈍い痛みがだるく溜まってくるような感じがしてくる。何でも経験と学習なのだ。
さて、いつまでも愚図愚図とはしていられない。気を取り直して、家のことをはじめ、商売も含めてこれから精力的にやるべきことをやっていこうと考えた。先のことはどうなるかわからない。だからこそできるときにやるべきことのうち今やれることを少しでも進めていくしかない。一日一日を悔いなく全力で生きていけたら死ぬときがきても悔いは残らないはずだ。鬱々と悩むよりもまずは行動するしかない。やがてはいつの日かすべてが過去となって何もなかったかのように収まることだろう。生ある限りは一生懸命生きていきたいと思った。
というわけで交通事故の件やその他の私的なことはとりあえず棚に上げておくとして・・・・。ようやくブログを以前のような形に戻してみたい。
自分もまた商人のはしくれとして、いや生活者、消費者としても昔からずっと考えていることがある。親や親戚、そして学校の先生たちから昔から常に言われた言葉、「それで飯が食えるのか」「どうやって飯をくっていくつもりか」という言葉の“飯が食える、食えない”ということについて今改めてもう一度考えてみたい。それはとりもなおさず、それで生活ができるだけの金が稼げるのかという問いかけに他ならないのだが。
結論から言ってしまえば、音楽にせよ、絵画にせよ、小説、演劇他何だって同じことで、もしそれがまがりなりに芸術一般に括られるようなことは基本的にまずそれで飯が食えるということはありえないし、もしそれで飯が食えている人がいたとすればそれはほんの一握りであり、10人に一人もいないはずだ。
そして芸術に限らず世間からは道楽とか趣味的に見られている商売、例えば古本屋だって喫茶店だって、個人経営の飲み屋やライブハウスだってそれだけで経営を維持していくだけの儲けがあるところは実は少ないのではないだろうか。もちろん成功している店もあるだろうが、知る限りみなどこも四苦八苦して、中には好きな店を続けていくために昼間は別なバイトをしている人がいることも知っている。
結局のところ芸術的行為も含めて趣味、道楽の類の仕事はまず基本的にはそれで商売として飯を食うことは難しいというのが厳然たる事実であり常識だと考えて仕方ないのだろうか。