雪の日に考えたこと
深夜から降り出した雪は、朝起きたら東京としてはかなり積って一面の銀世界となっていた。雪掻きしないとならないほどの雪は久々の感がある。犬の散歩で朝外に出たが、転ばぬよう雪を踏みしめ歩くのにもかなり苦労した。日曜日で良かったが、道行く車もゆっくりとしか走れず、チェーンを巻かないと危ないかもしれない。
気持ちは、未だ回復していないが、今日は一日雪の中に包まれて、室内作業にひたすら専念しようと思う。
それにしてもこのところのスパムメールと言うのか、エッチ系のサイトへ誘導するコメントは何とかならないものか、読者からのコメントは全然ないのに、毎日消しても消しても間断なく気がつくとおなじパターンのが何種類かコメントされている。更新した日だけに届くのでおそらくそういう自動的なシステムで設定されているのかもしれないが、メールへの毎日大量に届くスパムの消去も含めて、そうした無為無駄な作業に時間がとられて気持ちはさらに萎えて、鬱病気味の気分に拍車がかかる。
こうした「宣伝」をやっている人は、受けて側の迷惑など最初から全く考えていない。彼らの頭にあるのは、数打てばどこかのバカが間抜けにもひっかかって、儲けに繋がるからこうしてスパムをランダムに大量に送りつけるのだろう。そんなサイトとは生涯関係なく何の関心もない自分のような者にもそれが届き、どれほど精神的苦痛を被ろうが知ったことでない。人はそもそも誰もが身勝手、自分勝手なものなのだが、考えてみれば世の中というのは、そうした各個人の身勝手さが集まって、その無意識の集合体は巨大な「悪意」となって人を苦しめている。特にネットの世界こそそうした傾向が顕著に現れる。
インターネットは簡単便利に人と人とを繋ぐけれど、それを利用した様々な欲望は結果として「悪意」へと変わっていく。というとは、これもまた便利さに伴う弊害として折込済みで覚悟の上で仕方ないものと受け入れなくてはならないのか。
しかし、気持ちが落ち込んでいると、それだけですべてが「いやいやえん」となってしまい、何もかもうんざりとして死んでしまいたくなる。
――と、書いて、申し訳ない。疲れがまだ溜まっているのか、自ら叱咤しないとならないのに、書き出したら毎度のグチとなってしまった。
人生は明るいほうを見なくてはならない。この雪が解ければ間もなく暖かくなり、すぐに春が来る。気分を変え明るい表通りを歩いて行こう。“サニーサイドストリート”なのである。