当ブログについて考えたこと
それにしても昨日は寒かった。薄曇で陽射しが弱かったこともあるが、気温がこの冬一番低く、寒くて寒くて作業は何もできなかった。昨年の夏、猛暑の最中も暑すぎて卒倒しそうで何も出来なかった日があったが、寒さのあまり震えて何もできないというのは初めての経験であり、暖房が効いた部屋ならともかく、今の我が家は内も外も日中でも吐く息が白く見えるほどだから、ダルマのように着込んでは膝の間で手をすり合わせている。例えればかつての北海道の開拓農民のような実に厳しい環境なのである。
と、書いてみて、正しいブログというのは何かよくわからないが、元々「日記形式による簡易型の個人ホームページ」がブログの定義だとするならば、こうした日々の出来事を記すのがブログ本来の姿かもしれない。翻ってこのブログについてである。
こんな拙いブログでもおそらく何人かは「読者」として、知人、友人、あるいは見知らぬ人を問わずほぼ毎日でなくとも、時たまでも訪れて目を通してくれているのではないかと自惚れている。あるいは、ごく稀には、検索で書いたことの「語句」がヒットして偶然訪れてくれる人もあるかもしれない。読み手の多寡は別に気にしていないがそれにしても自分で言うのもヘンだが、当ブログはかなり変わっているのではないか。
まず一回ごとの分量がかなり多いと思うし、その内容も日記というより、連続コラムというのに近いような気がする。内容も多岐に渡り、とりとめなく、あるテーマごとに何回か続いていく。どうしてこんな形式になってしまったのだろう。
思い出すと、今から約3年近く前、ブログなるものを始めるにあたって、いくつか誓いを立てた。一つは、始めるからには怠けずに必ず毎日更新すること、であり、二つ目は、商売の道具や商売と結びつけてこの場を利用しないこと、であり、三つ目は、自分のことは書かない、であった。
このうち、一番目と二番目はまあ守れていると自分では思える。昨年の夏はトチ狂って、8月一ヶ月の間、家の片付けに精を出すとの理由で休んでしまったが、それ以外は、旅行などでパソコンに向かえない時以外は必ず欠かさず書いてきた。そして不在の日の分も後書きで埋めておいた。
当ブログを商売と結び付けないというのは、売れた本の報告などはしたとしても、直接ここを窓口にして客を呼び込もうとはしていないし、今まででブログを見てウチの店で本を購入したなんて奇特な人は皆無であるから、これも守れていると思える。
問題は三番目で、こんなパッとしない独身初老男の日常など面白くもおかしくもないから、書いても仕方ないと当初は考えていた。それよりももう少しタメになるような読み物記事を書いていこうと考えていた。
しかし、途中から読者のご意見や励ましもあって、しだいに頭に乗って、自分のこと、つまり増坊の日常も書き始めてしまった。結局気がつけば家の建て替えのことやガラクタ片付け騒動とか、秋の落葉の始末まで細々と自分のことばかり書いている。誠に情けない由々しき事態だとつくづく思う。
だが、ブログとは本来そうしたものであり、それが一番書きやすく、自己責任において、もしトラブルが起きたとしても他者には及ばない。かといって、どこそこへ行って、あれこれしてなにそれを食べた、はい、その写真、というのでは凡庸であり、自分だったらそれでは読む価値はない。
やはりそうした「日常」や生活の他に、「意見」や考えたことも書きたいし書かねばならないと思う。要するに、書きたいこととは伝えたいことなのだった。何のことはない。自分のことは書かないと言いつつも、結局、気がつけばいつも同じパターンで、毎度「自分のことばかり」書いている。人は常に同じ歌をうたうものだとつくづく思う。しかも下手くそな調子はずれな歌を。
そんなものでも多少の関心を持ってお読み下さる方がいるとしたら本当に有難い。
そして、拙ブログに対してのコメントについて・・・なのだが、長くなったのでもう一回書かせてください。