芸人とはすぺからず異端であるべし
またしこたま酔っ払っている。
今日は「社員」をよんで、毎度の倉庫へ移動作業をした。こうして少しづつモノは確実に減ってはいると思えるのだが、経年疲労的に肉体的ではない疲労感が強く、もう本当にうんざりしている。おまけに、行きつけの駅前の養老の瀧は、忘年会シーズンとなったせいか、満員で入れず、仕方なく、隣町まで一駅歩いてつぼ八でホッピーを呑んでまた歩いて帰ってきた。疲れた頭と体にアルコールは程よく廻っている。
つい小島よしおのことから、キワモノ芸人について書いている。今は酔っ払って理路整然と説明できないが、芸人が異端でなくてはならない意味は、長くなるし、わかる人にはわかることなので今さら書かなくても良いだろう。要するに山口昌男的トリックスターとしての役割がそこにはあるのである。
個人的なことだが、増坊は、力道山の雄姿もかろうじてリアルタイムでテレビで観ているし、金語楼や、エノケン、それにトニー谷も子供心に見聞きし、長じてクレージーキャッツ、コント55号、そしてドリフ、藤山寛美、タモリ、さらにツービートまで、その時々の人気者は一通り体験してきた。中でも不幸にして足がなくなってはいたが、生前のエノケンの姿をこの目でしっかり記憶に留めることができたのは稀有な、今にして幸甚なことであったと思える。いえる事は彼らは誰もが最初はキワモノ的扱いであり、まさに異端であったということだ。
知る限り、最初のキワモノ芸人は何と言ってもトニー谷であろう。もちろんそれ以前にも、初代春団治とか、異端の極みとしか呼べない芸人も斯界には多くいたのかもしれないが、やはり記憶に残るのは、あの赤塚不二夫描くところのマンガ「おそ松くん」のイヤミ氏のモデル、トニー谷だ。
実際に子供のとき、体験したトニー谷は、既にアクの抜けた、今のタモリ的なただのちょっとヘンなおじさんであり、タイトルは正確でないかもしれないが、「アベック歌合戦」という素人歌番組の司会をしていた。
そのときは、十八番のソロバンは使ってなく、拍子木を叩いては、出場者に「アナタのお名前何てえの?」と尋ね、相手はそのリズムに乗せて「○田×子と申します」と返す。そのリズムに乗せて会話を進めるのだが、今にしてあれは本邦初のラップだったのだと気がつく。だが、それだけが売りで、あくまでも司会進行に徹して、伝説的な毒舌やアナーキーぶりはすっかり影を潜めていたが、子供心にすっかり魅せられファンになってしまった。
トニー谷に関しては、畏敬する色川武大先生の著作に特に詳しい。誰からも愛されなかった邪道芸人の最後の光輝く一瞬の姿を子供心に見ることが出来た。それは幸福な思い出である。