ようやく家の解体に向けて、メドが見えてきた感じがしたのだが・・・・
先日のこと、とあるところから約20年前、自分が読んでいた本や雑誌、聴いていたカセットやCD、レコードが大量に出てきて、懐かしさと共に、この何日か哀しみに似た感情に囚われてしまっている。
もちろん、そんな感傷的気分にひたっているヒマはもはや一秒たりとてないわけで、今は本格的冬が来る前にどこまで進められるか、毎日すべてを差し置いて血眼で片付けに専念しているわけで、普段はそんな気分になることはない。その理由は後ほど詳しく書くとして、現在の進行状況をまずお知らせしよう。
増坊の家、壊すべきボロ家に今あるガラクタ類をなくすため、もう数年来、処分と移動に一家を挙げて取り組んでいる。ご存知のごとく遅々とした進み具合であったが、ようやくこのところモノはだいぶなくなってきて、あちこちにガランとした空間が目立つようになってきた。まだまだ確実なことは言えないものの、この調子で必死に今月11月頑張れば、年内に一部からでも壊し始められるのではないかと思えてきた。
しかし、それにしても片付けても片付けても次々と出てくるガラクタの多いことか。「もったいない」という言葉は最近では、世界的に普及してその思想は地球環境に良い事として知られているそうだが、度が過ぎるととんだ弊害があるとつくづく思う。
増坊の家は父親は戦争にも行った大正末の世代で、母親は疎開児童より少し上の、空襲体験を持つ昭和一桁だから、戦後の物不足の時代はもはや大人であり実際に苦労した”もったいない”感覚の体現者のような親たちだったから、ケチ以前に、どんな物でも捨てられずにともかくとっておく家庭であった。
その結果、親父はエンジニア的気質もあり電気関係の仕事をしたこともあったので、機械工具類のガラクタが物置いっぱい溜まり、母親は着道楽というのか、自分では新品は買わないくせに、バザーで買ったりや友人知人からもらったボロ衣類がタンスから溢れてあちこちに山をなすほど溜まり、息子は本と雑誌が捨てられずレコードのコレクターでもあったから増坊家はどこもかしこも足の踏み場がないような状態となってしまっていた。
そのため、使っていない部屋はいつしか物が詰め込まれ、次々と物置状態となってしまい、家族は部屋数が多い家なのに、狭い部屋で物に囲まれ仕方なく肩を寄せ合って暮らしていた。しかし、築50年の安普請は老朽化し、あちこちで傷みがひどく、雨漏りは常であり、大地震が来たら一たまりないと、阪神大震災以降は、さすがに改築の計画が家族団欒の話題となった。
しかし、溜まりに溜まった物の数が多すぎたのと、戦後から続く「もったいない病」が治らないために、片づけが全く進まず計画は10年近く延びて、ようやく3年前、苦労の末、半分だけ改築できた(第一期工事)。
だが、それは壊しやすい物置部分だから建ったのであり、未だ生活の拠点・本丸部分は残っていて、当初の工事開始予定より第二期工事は早一年近くも遅れて、大工にせっつかれていることはこれまで書いてきた。
大工に既に依頼してあるのに、工事が始められないのは、捨てるのがもったいないと溜め込んできたものが、この期に及んでもまだモッタイナイとなかなか処分できず、物がなくならないからで、もったいない病も軽いものならともかく、老親たちのように全身に転移してしまうともはや不治の病だから、医者も大工も見放す処置なしなのである。だからといってこのまま家が建たない理由にも言い訳にもなりはしないのだ。