私的なことなど・・・
今日は午前中に本の発送二冊済ませて、晩御飯のしたくして、午後から高田馬場に出て、早稲田松竹でD・リンチ監督作品の二本立てを観て来た。「エレファントマン」と「マルホランドドライブ」という超強烈二本立てである。
どちらも公開時に観ていたが、今回改めて見直して、その異次元ワールドとしか呼びようのないミステリー世界をうんざりするまで堪能した。そして、エレファントマンからこの人は終始一貫何一つ変わっていないことを確認した。一言で言えば、リンチワールドとは歪んだ愛に満ちた悪夢のようなファンタジーだということだろうか。世界には数多くの監督がいるが、リンチこそ唯一無比のカルトムービーの“巨匠”であろう。今でも耳の奥が詰まったような感じがして軽い眩暈が続いている。
映画二度目の効用として、ずっと気になっていた「マルホランドドライブ」の謎の答えがほんの少しだけ見えてきたのは収穫だった。彼の世界については様々な解釈本のようなテキストがでているようだが、いつか自分なりの解釈というか、謎解きを書いてみたいと考えている。
家に戻ったら8時半。雨が降り出す前らしく、強い風が吹き出して庭のケヤキの木はざわざわと音を立てて揺れていた。リンチを観たせいか、ちょっと不穏な感じがした。
私ごとになるが、この家には狭い庭なのに雑木が何本もあり、春には桜が、初夏には梅が実り、秋にはイチョウが黄色く色づき銀杏が落ち、並んだケヤキが落ち葉を一面に散らす。と、書くとまるで多摩の庄屋のような広い旧家をイメージされるだろうが、増坊が幼児の頃に都心から越してきた新興住宅地の一角に過ぎず、犬の額ほどの庭に先代が植えた木々が約半世紀近くの間に成長し、切りも手入れもしないので夏などほとんど陽のささない鬱蒼としたジャングルとなっている。
そのイチョウの木に先だって落雷があったのは書いたことだが、その話を女友達にしたところ、庭の木に雷が落ちたなんて話は聞いたことがない、と呆れられたからやはり普通の家ではないのかもしれない。
どれもみんな落葉樹だから、冬場は葉が落ちて明るくなって良いのだが、その前に秋の枯葉の処理に毎年頭を痛める。近所からは苦情が後を絶たないし、寄る歳で落ち葉掃きもかなりの重労働となってきたから近いうち切らなければならない。
それでも大きな木――特に細かい葉の多いケヤキの類が庭にあると、嵐の夜などは、木々の葉が風に吹かれる音はまるで波の音のように聞こえて、深い海の底にいるような気がする。その音には不思議な安心感があり聞いてると心地良くいつしか深く眠ることができる。そんな感覚は庭に木のない人に言ってもわからないだろうが、木の葉が立てる音の癒し効果というものもまたあるような気がする。
思いつくままにとりとめのないことを書いてしまった。