8月の備忘録・まとめ
本日は久しぶりに朝から晴れて、残暑が戻り気温も30度を超して暑くなった。でもこの夏の最盛期に比べればもう大したことなく、蝉の屍骸を見ても思うことだが、季節は夏から秋へと確実に移っている。
それにしても今年の夏は暑かった。このところ例年地球温暖化悪化のせいか、猛暑続きは毎年のことなのだが、8月に入ってから月半ばまでは、連日観測記録更新が続くほどの猛烈な暑さで、背広とネクタイで外出することのない身であっても、この夏は室内ではパンツ一枚で一日中過ごし、結局一度も靴下もスニーカーも履かず、どこへ行くのも草履型サンダル履きのままで終わってしまった。今裸足の足の甲を見ると、Ⅴ字に日焼けの跡が残っていて、それがどこへも出かけずバカンスとは縁のなかった今年の夏の思い出だ。
灼熱地獄という言葉があり、焼けつくようなという表現もあるわけだが、昼時外に出ていると、陽射しの勢いがこれまでとはまったく違うと感じる。オゾン層が破壊され、直接太陽光線が降り注いでいるのか、記憶にある日本の夏とはまるで違う。ふと、若い頃、初めての西欧旅行の途上、偶然降り立ったパキスタンの大地を思い出した。
若い頃、といっても実はそのとき既に30歳は過ぎていたのだが、生まれて初めての海外旅行で、フランスへ行った。今も昔も金はないから、格安のインディーズ航空会社、パキスタンエアラインを利用し、各駅停車ならぬ、各国到着の途中乗り換えでまるまる二日かかってパリにたどり着いた。
成田を出て飛行機はまず北京に降りて、一部の乗客を降ろす。ちょうど天安門事件のすぐ後で、物々しい警備で、銃を抱えた兵士が機内にも乗り込んで視察があったのが印象的だった。そして、次に到着したのは、パキスタンのカラチだったか、イスラムバードだったか、順番は忘れたがその二つの都市で、地面に降り立ちともかく暑くてびっくり仰天した。
今ならどこの空港でも飛行機の乗り換えのときも、移動式タラップからそのまま空港施設へと移り、飛行機の外というか室外に出ることはまずないだろう。ところが、時代とパキスタンというお国柄のせいか、そのときはカラチだかに到着すると、一度乗客は全員飛行機からタラップを降り、空港の地面、つまり滑走路に降ろされた。バスが待っていて、それに乗って空港施設に移動し、そこで一晩ヨーロッパ行きの便を待ったのだと記憶する。
生まれて初めて降りたった外国の地はパキスタンだったわけだが、飛行機から外へ、パキスタンの地面に降りたとたん、その暑さにまさしく仰天した。むあーとした熱風が体を包み、最初は飛行機のエンジンから排気の熱風が吹きつけているのかと思った。が、そうではなく、それがパキスタン初夏の平常気温だったのである。汗が噴き出し卒倒しそうになりながら来たバスに乗り込み、涼しいクーラーの効いた施設内に入り、ほっと一息ついたのだが、思ったのはこの世にはこんな暑い場所があるのかという驚きだった。おそらく気温は40度を超していたはずだ。
そのときの旅は最初だったこともあり、いろいろ忘れがたく20年近く経った今でも時折思い出すことが多いが、今年の夏、熊谷だかで、最高気温が更新された日、昼時に郵便局へと自転車を走らせていたら、吹き付ける熱風と照りつける陽射しに突然そのパキスタンでのことを思い出した。
日本もついに中近東レベルの暑さになってしまったということか。いったい地球は今後どうなるのかと不安になる。ブッシュもテロとの闘い以前に、リベラリストもテロリストも含めて地球上に住む人々全員が今こそ生き延びるために、環境問題に対し、今何をすべきか何ができるか考えなくてはならないはずだ。我々は地球という一つの宇宙船に乗り込んでいる乗員同士なのだから、仲間内で無益な争いにかまけているヒマなどないではないか。