アマゾンで売ることはまっとうか
雨のせいか肌寒い。ヤンキー先生の件で、前から私的に知らぬ人ではなかっただけに、今晩は裏切られた思いで、不愉快のあまり憂さ晴らしでつい酒が進んでしまった。しょせん、ヤンキーはヤンキー、お里が知れるとはこのことか。
さて、千冊目の本はついに達成できたか、というと、実はまだなのである。
今日もアマゾンからメールは届いた。しかし、それは、「取引は保留中」とのお知らせで、二冊、物理関連の専門書を同じ人がいっぺんに注文されたのだが、「商品は買い手が付きましたが購入者からの支払いが遅れていますので、ご連絡いたします」とのことで、お客様のカード情報に何がしの不備があり、相手が更新しないと売買は至らないという状況だった。
で、一日待っていたけれど、結局今晩はまだ商品が売れたという連絡はなく、なかなか千冊目、いや千件目は達成できないのである。その物理書が売れれば数千円の儲けとなったのだが。こちとらその記念すべき本を画像を撮って公開しようと準備していたのだが、世の中はまず思い通りにならないものなのだ。
で、前回の続き。あくまでも個人的な考えで、他店や他人のことをとやかく言うつもりもその資格もないが、アマゾンなどで本を売っているのはまっとうな古本屋ではないと思う。そう、自分も含めての話として言っている。
何がまっとうで、まっとうでないか説明は難しいが、少なくとも古本という対象に愛がある人はとてもじゃないが、アマゾンなどでは売りたくないのではないか。
以前、同業の人と酒の席でのこと、アマゾンのことが話題に出て、「アマゾンは安すぎる! あれじゃ本がかわいそうだ」と言われたのだが、そのことが今もずっと心に棘のように突き刺さっている。
アマゾンで売ることは、極端な市場原理主義の荒波の中に飛び込むことに他ならず、売って本を金に換えたいがゆえ、他店より1円でも安く先に売りたいとダンピング合戦に熱中する。そして気がつけば、行き着く先は1円本の世界であり、そうなると、本を売っての儲けではなく、半ば詐欺同然に、客が支払う定額送料との差額から僅かな儲けを生み出すというカラクリに頼るしかなくなってくる。
これはまともな商人、まともな古本屋ではない。1円で本を売っている人は、自分は古本を売っていると正々堂々胸を張って口にできるだろうか。自分はそこまで落ちてはいないがまさしく同罪である。
客にとっては本が安く買えるのだから喜ばしい良いことだとの意見は関係ない。長い目で見れば、こうしたデフレ的悪循環が結果として本を殺し、出版文化を衰退へと追い込んでいくのである。モノにはその価値に見合った正当な値段、評価が与えられなければならないと思う。
末端でもいいが、まっとうな古本屋になりたいと願うがゆえにもう心底やめたくなっているのだ。