京都時代の高田渡
高田渡というと、私的には吉祥寺の人というイメージが実に強い。実際、高校生のとき始めて彼を目の前で見て聞いたぐゎらん堂も、レコードを聴きこんだ武蔵野タンポポ団も、行きつけの飲み屋いせやもすべて吉祥寺界隈が拠点だったし、終の住まいもその近くだった。
しかし、丘の上の下宿屋で加川良に応対し、三条堺のイノダコーヒーに通っていたのも高田渡で、京都の好きな自分としては、ずっと渡の京都時代についてその足跡を追い求めていた。だが、なかなか調べようもなく、一度行った折に直接古川豪氏のパン屋へでも行って尋ねようかとも考えていた。それが今回ようやく、この「読本」によって当時を知る方々によって「京都時代の高田渡」として文章となって明かされ、懐かしさと興奮で胸がいっぱいになった。
懐かしいといっても当時を知っているわけではない。しかし、そこに登場する若き日の渡をとりまく人々の名と場所が実に懐かしい。中山容、有馬敲、片桐ユズルら詩人、英文学者たち、そこに加藤和彦、北山修、はしだのりひこらのフォークル、杉田二郎、岩井宏、西尾志真子、坂庭省吾、そして豊田勇造、古川豪、さらには中山ラビ・・・。若い頃、URCのレコード「関西フォークの歴史」で覚えた人たちが次々と登場してくる。
詳しいことは実際にこの本を読んでもらうしかないが、京都時代の高田渡は酒がまだ飲めなかったことや、三条大橋の下で当時フォークの集会があったことなど、初めて知ったことも多く70年代前後の京都のフォークシーンについても貴重な証言としても興味深く読めた。
実は、増坊は、京都へ行くと必ず寄っては鯖寿司を買って帰る、寿司屋兼飲み屋がある。昨年ふと前を通り、そのたたずまいに引かれて中に入り、夕方の客が込み合う前に、できたばかりの寿司を買って、すっかり気に入った店なのだが、今回、この特集本にその店が出ていて驚いた。店の名は「味の店・伏見」といい、当時フォークシンガーたちがよく集まった居酒屋とある。確かに渡のいた京都の東、山科日ノ岡にも近く、そうかあの道をいつも渡は上り下りしてイノダコーヒーまで通っていたのかと偶然とはいえ感慨深く思えた。
もし、また来年もまた「春一番」に行けて、ついでに京都に寄ることができたら、この読本を片手に、もう一度詳しく京都時代の高田渡の姿を追ってみたいと考えている。