欲の皮と市場原理主義
アマゾンで「古書」枠が増え、出品できる本が増えたのは良いけれど、その価格が高すぎて困惑しているという話の続き。
前回の続きである。高い値段が付けられるのなら売る側にとっては良いことではないかというご意見もあろう。だが勘違いしてはならないのは、高く売りたい本と高く売れる本とは違うということだ。
末端古本屋、古本屋の端くれがとやかく言う資格はないかもしれないが、アマゾンで「古書」として古本を売ろうとする人は欲の皮が厚すぎる。確かに、一点しかない本で、自分だけが持っている本だとしたら、いくらで値を付けようと勝手だし、場合によってはその法外な値でも買ってくれる奇特な金持ちもいるかもしれない。しかし、モノの値段というのは、どのように決まり、それが適正かはともかく、妥当であるとして商売が成り立つ場合を考えたとき、そこには需要と供給からなる市場原理がまず働いているのである。
もちろん、現在のアマゾンの最低価格、1円本、0円本などは、ダンピングという以前に法的にも問題のある論外だと考えるし、たとえ法外な値段だとしても買う人がいるならばそれは何の問題もない取引であるとも思える。
問題としたいのは、売主が勝手に高く売りたいと目論んでもその「価値」のない本は、つまるところ売れるはずがなく、いたずらに流通の妨げにしかならないということだ。その値で売れなくとも何冊も同じ本が競合して出品されているなら、時間とともにやがては価格は下がり、いつしか「相場」ができてくる。実際アマゾンでの一般的な単行本の相場は今は情けないほど安い。おそらくかつてのような、大手の大型古書店の均一本の棚からセドリして、安く買った本を高値で売って儲けを出していた個人出品者は今やほとんどいないのではないだろうか。
そうした低価格一方だったマーケットプレイスに登場した「古書」枠だから、当然高く売りたい気持ちもよくわかる。だが、売りたい値段と実際に売れる値段は大きく違うから、そのギャップに買い手も売り手も悩み苦しむことになるのだ。実際、その本を競合して出品する場合だってあまり極端には安くもできず困惑するばかりだ。
もちろん一冊だけでも長く出品していればいつまでも売れないので自ずと徐々に価格は下げざるえないだろう。しかしその以前に果たしてその本に本当にその値段の価値があるのかじっくり考えてみる必要がある。商売は結局すべて売れてなんぼなのである。
繰り返しになるが、売りたい値段と実際に売れる値段はまず異なる。細々とながらも何年か商売をやってそのことは嫌というほど思い知った。だからこそ、商売は面白く、そこが味わい深いのだろうが、そこまでいかず未だ値付けには迷うことばかりだ。その自分でさえ断言するのだから、古書を出している皆さんは呆れるほど欲が深すぎる。