最初から結論ありきの策動に加担してはならない
自由と憲法についてもう一回だけ書く。
思うのだが、自由とは義務や強制の対極にあり、それは「権利」と同義ではないが密接に結びついている。
今の憲法が素晴らしいのは、様々な権利が保障されて、人が自由で幸福に暮らしていく「権利」があるとされていることだ。だが、現実には、過労死が多発し、ワーキングプアなる階層さえも登場し、憲法の概念からは程遠いのが実際だ。
しかし、人権がないがしろにされているからといって、社畜には人権などないんだとまさか、現実に合わせて憲法のほうを変えろという論が成り立たないように、わが国にも軍隊があるからといって、九条をはじめとして「武力による紛争解決はおこなわない」という理念のほうを変えるべきだという理屈は成り立たない。
憲法は国の最高法規であり、各法律の大本なのだから、それは、「理想」であってかまわないと思う。そして大切なことはいかに現実をその「理想」に近づけていけるかということではないだろうか。
さて、自民党は、今夏の参院選で憲法改正を選挙の争点にしようと考えているらしい。それはそれで悪いことではない。選挙とは国民に信を問うものだから。ただ、「改正」せねばならない、まず改正ありき、という風潮、世相を盛り上げるためならば大いに心してかからねばならない。
折りしも中川官房長官は、改憲草案を広く国民に呼びかけ、募集したいとか語っていた。それもまた改憲の機運を高めるためだろうが、これもまた一種の詐欺のようなもので、うかつに言葉通りに信じるのは危険なのだ。
瀬戸内寂聴さんが、以前、何かで書かれていたことだが、小渕内閣の二千円札発行に際し、こんなエピソードがある。そもそもあの札自体が今ではほとんど流通していない愚の骨頂というべき内閣の思いつきというか、失策でしかないのだが、あの札のデザインを決めるにあたり、電話魔であった故小渕首相は、瀬戸内さんのところにも直接電話してきたという。
想像だが、「源氏物語絵巻からデザインを起こし新札に用いるのでどれが良いかご意見を聞かせてくれないか」と言われたのだろう。瀬戸内さんは首相直々に電話があったので感激していろいろ思案して「何巻の何々の絵が良いのでは」と提言した。ところが、出来上がった新札の絵はそれとは違っていたのはともかく、後から判明したことは、実は小渕首相が電話をかけた時点で既にそのデザインは決まっていたのだという。確かに、首相は彼女からの意見は聞いたが、それはあくまでも聞いただけで、一応のアリバイのように、形式的なものでしかなかったのである。
政府自民党は、何かの法案や政策を決めるにあたって、有識者による懇談会や公聴会、ときにタウンミーティングなどで「国民から幅広く意見を聞く」という形式をとる。昨今では教育再生会議もそうだ。しかし、そういう会議のメンバーは首相側が選び、そもそも政府や自民党の息のかかった人たちで、彼らがまとめる提言や結論は、当然政府側の意に沿うものになることは必然だ。政治家の言う、「多くの方々から意見を募り民主的な手続きを踏んだ」とは、こんなものでしかない。
先に問題になったタウンミーティングは、大方が政府主導のやらせだったし、常に最初から結論ありきの、あくまでも一応幅広く意見を聞きましたよ、と形式だけのアリバイ工作に過ぎないのである。今回の国民全体に呼びかけて、国民からも改正憲法草案を募るというのも、国民の意見が反映されるどころかあくまでも形式だけに過ぎず、「結論」は最初からある。こんな策動・扇動に絶対に乗ってはならない。
それよりも大切なことは一人ひとりが声を挙げていくことなのだ。