「戦後」の次にくるものは
このところふと考えるのだが、今は21世紀で言えば初めの頃だが元号でみれば昭和も遠く過ぎ去り、平成となってからも20年近く経って、、「戦後」という考え方では、60年以上もの年月が過ぎてしまっている。間もなく平成生まれの若者が成人となるわけだから時の流れはまさに光陰矢のごとし、非情とさえ言えよう。そんな自分も気がつけば50歳。半世紀も生きてきたことになる。人生五十年と謡われた時代から思えば、もはや晩年の生をむかえているということだ。
そして、今こそ、いや、ようやく今になって歴史というものが見えてきたような気がする。歴史というものは人類がいようがいまいが存在しているものだが、人類史、中でも近代、現代史と見た場合、最近になって、今自分はその歴史の真っただ中に存在していると強く感じる。「歴史の証人という言葉があるが、今この時代に生きている我々こそが大きく変わろうとしている歴史の目撃者であり、立会人であり、当事者であると思える。
安倍首相の十八番「戦後レジームからの脱却」よろしく、教育基本法が戦後初めて改定され、防衛庁が省に格上げされ、そして間もなく戦後平和憲法が、変えられようとしている。まさに時代は大きく変わっていく。慣れ親しんだ「戦後」という時代が終わるとするならば次に来るのはどんな時代なのだろうか。
日本という国は、今国是という舵を大きく右に切ろうとしている。それが大多数の国民が望む意思ならばかまわない。問題は、国民の多くは未だこのことに気づかず、ほとんど関心もなく、知らないうちに歴史は新たな段階に駆け足で突き進んでいこうとしていることだ。
今こそが歴史の分岐点、時代の大きな変わり目であることをもっと多くの人に知ってほしいし、後の世になって、そのとき生きた我々は何を思い何を考え何をしたのか検証され問われるときが来よう。だからこそ、声を上げたい。これが時代の流れだとするならば波に乗るのではなく、あくまでも抗い、これからも残り少ない人生をかけてこんな小さなブログからでもNO!と叫び続けていくつもりだ。
これから何回かにわたって「歴史」というものについて映画や小説を通して考えていこうと思う。