みんなどこかで繋がっていた
実は告白すると増坊の人間関係というのか、「交友関係」は極めて乏しく情けないもので本来“友だち”と呼べるものはほんの少ししかいない。
世間一般の人間関係は普通、まず会社関係があり、次いで、友だちや地域の人間関係があり、そして家族という関係がある。ところが、自分の場合、自営業と言っても居職でパソコンに向かっての商売だから、購入者という客はあっても古本商売で関わり知り合う人間関係はほとんどまずない。古書組合に入れば別の話だが。
以前いっとき、メーリングリストなるMLでネット古書店仲間のそれに入ったが、参加仲間が交わし同時に届くメールの山に怖れをなしてすぐに辞めてしまった。今もミクシィに誘ってくれる人もいるのだが、忙しいのと基本が面倒ぐさがり屋なので、これからも関わることはないと思う。
地域の人間関係は昔からの町内の問題児であり鼻つまみ者だから一切なく、ということは残るは、昔ながらの学生時代からの交友関係だけなのだが、それもこのところ停滞気味で、友だちとして頻繁に会うのは、同じく親の介護を理由に仕事をやめて実家と都内のアパートを往復している男だけで、彼が時間のあるときは家に呼んで、本や家具を運ぶのを手伝って貰っている。
その人を除くと昔ながらの友だちともごくたまにメールでのやりとりがある程度で不思議なことにお互いにパソコンを始める前は頻繁に電話で長話をしていた仲だった人でも、すっかり疎遠になってしまった。最後に友だちと電話で話したのは何ヶ月前のことだろう。携帯電話ならば頻繁に今の人はやりとりするのかもしれないが、増坊は携帯は持っててもまず家族間での緊急の時以外使わないし、かけてくる人もいない。
そんな自分にとって、世間と繋がっているのは今現在はこのブログだけで、自分の書いたことに反応があると当然嬉しいし、なくともきっと誰かが読んでくれているものと信じて、そのサムワンに対してこれからも発信していくつもりだ。
思えば、自分が気の向くまま思いつくまま書いたことなのにどこかの誰かが検索などで偶然目にしてくれて、そこからコメントを頂いたりメールでのやりとりが始まってやがて友だちとなっていく。実際に会ってみるとみんなどこかしら共通点があって懐かしいような旧友のような気持ちがする。類は友を呼ぶとの喩え通りそれも当然かもしれないが、嗜好も思考も政治的傾向も近しくて、あたかも古くからの友だちに再会したかのようだ。
このところよく考えることなのだが、そうした仲間たちとは昔からみんなどこかで繋がっていて、何か見えない糸で繋がっていた人たちが今またネットという網でようやく再び結びついたような気がしている。まるで南総里見八犬伝や西欧の騎士物語のように、バラバラだったかつての仲間たちが再び集って目的に向かって進んでいく。
行きつく先がどこなのかそれはまだわからない。が、人生とは本来そうしたものだったような気がする。何かの見えない力によって仲間たちは離ればなれにされていたのだ。初めてのオルグ化ではなく再結集。インターネットはそのための手段として実に有効かつ役に立つツールだと今は思えるのだ。
これからも好きなことや好きなもの、関心のある事物や考えたことなど勝手気ままに日々書いていくつもりでいる。たまにでも目にしてくれた方が関心や共感をお持ち頂ければ幸甚に尽きよう。というわけでまた新たな出会いに期待して今、改めて宜しくお願いいたします。