私たちの岡林に望むものは
数多くメッセージソングやプロテストソングに名曲を生みだした岡林だが、それとは別に、“私ごと”を歌にした佳曲も多い。今回のコンサートでも歌われた「26ばんめの秋」もその一つで、岡林の秀れたソングライティングの資質がここにあると改めて聴き入った。
人気者となり“神様”と持て囃され、そして批判されることに疲れた岡林が、26歳のとき田舎に引きこもり、家族や自然とふれあい、そのとき感じた心象風景をたんたんと描いた私的世界なのだが、岡林という人は自ら自慢するように、こうした歌にならないようなことを歌にするのが上手く、増坊は彼の本質はここにあると考えている。
岡林に対して何回にも渡ってかなりキツイ批判をしてきたが、今回改めて認識したように歌もあれほどうまく、作詞作曲の才にも恵まれた彼ほどの才能のある人が、内容のないダンスミュージックにうつつを抜かしているのが残念だとの思いがつい筆を滑らせたのだとご理解願いたい。
思うのだが、「26ばんめの秋」があるならば、40ばんめの春も60ばんめの春夏秋冬だってあるはずだ。今、岡林は60歳は過ぎたとはいえまだ体力気力ともに十分若い。しかし、老いは忍びより、いつまでも手拍子でエンヤトットに浮かれてはいられなくなる。そのときその日こそ、岡林がもっとも岡林らしさを発揮する“歌にならないような私ごと”をまた歌にして聞かせてもらいたいと強く願う。かつての若者たち――団塊の世代に向けて、その琴線にふれるようなしみじみとした名曲がきっと近いうち生まれるような気がしてならない。
何だかんだ書いたが今も昔も岡林は大好きだ。そしてこれからも好きでいさせてもらいたいと心から期待しているのだ。