めでたさを通り越した過剰報道
昨日、天皇家の次男と結婚した紀子さんに男児が生まれた。都心では、号外が出るほどの大ニュースとなり、それは、今日になっても続いていて、NHKでは、今日も「全国でお誕生を祝福する巷の声」をニュース番組中で伝えている。出てくる人たちは皆笑顔で、我が子ことのように喜んでいる。それはいい。増坊も祝福した。だが、報道のあり方としていささか度が過ぎないか。
皇太子ではない、天皇家に男の孫が生まれただけの話だ。
断っておくが、筆者は現天皇家には、敬愛、親愛の情を心から持つものだ。だが、過熱する今回の報道、特にNHKのニュース番組を見ていると、国民全てが等しく今回のお孫さんの誕生を祝い、祝福しているように思えるし、そうせねばならないような情報操作を強く感じる。確かに天皇家には初めての男の孫で、天皇夫妻も当の次男家も喜ばしいだろう。女の子ばかり続いていたのだから尚更だ。その点で歓びを共感できよう。しかし、これが、また女の子だったらばこれほどの大ニュースには絶対ならなかったわけで、そこに、今回の男子は、未来の天皇の後継者であるとの前提がある。つい先日まで喧しかった女系天皇論争も今回の男子誕生ですっかりどこかふっとんで議論は棚上げになってしまった。これで皇室は安泰、万万歳か。これで本当に喜ばしいのか。靖国問題もそうだが、思考停止のままモノゴトが既成事実化していく。
思うに、どうして女の天皇ではいけないのだろう。また、そもそもどうして天皇家は必要なのだろう。一連の報道にはそうした視点は一切なく、天皇は男性で、万世一系続いていて、これからも未来永劫日本国では続いていくという「当たり前」のことを何も考えずに踏まえている。テレビを見る側にも無意識にそれが刷り込まれていく。
増坊の考えでは、天皇家に生まれた者は、職業選択の自由も選挙権もなく、その他多くの基本的人権を最初から奪われている。21世紀の今日、果たしてこれは正しいあり方なのか。彼らは天皇家に生まれたというだけで人間ではないのか。民間から嫁いで、その不自由さに心身の調子を悪くされた雅子さんを例に挙げるまでもなく、公務に追われ自由のない彼らに心から同情する。それが真に皇室の人々を愛することだと自分は考えている。
だが、今日、こんな異論、異端な意見を書くと、不敬に当たるとして、批判されるかもしれない。言論でなら良い。怖いのは、先の靖国批判発言をした加藤紘一氏の場合のように、家に放火されたり、襲撃されたりと言論をテロ行為によって封じ込めようとする輩がいることだ。たかが一ネット古本屋のブログだが、これでも公的に商売をしているので、まったくの匿名性が保たれるわけではない。調べればどこの誰かわかってしまう。商売はともかく、自らと家族に危害がなくはないかと不安になる。つくづくイヤな時代になったものだと思う。もの言えばくちびる寒しである。
「いやな感じ」は高見順の、昭和初期の世相とテロリストたちの世界を描いた風俗小説だが、今の自分の心境はまさにこのタイトル通り、いやな感じがして、実にいやな感じなのである。せっかくのおめでたも興醒めしてしまった。