心に残った人々たち・すべてが繋がっていたんだ
旅というのは、名所旧跡を訪れて見学するという楽しみもあるが、その地でしか味わえないものを食べたり、その地の人々と交歓するという楽しみもある。実際、今回の旅行も、大阪はコンサートが目的だから仕方ないが、京都でも由緒ある神社仏閣などはどこにも入らず、もっぱら街の探索というのか、古本屋はもちろんのこと、市場や商店街を巡り、買い物しては店の人と話すことに費やされた。今回、天王寺の動物園前で泊まった簡易宿泊所ホテルのフロントの怪しいオヤジから、コンサート会場で、27年ぶりに再会した名物男オカモトまで、忘れがたき出会いがいくつもあった。
もちろん、ミュージシャンとの出会いは書いたようにたくさんあったが、憧れの有山じゅんじは、噂は聞いていたものの、かつて増坊が持っていた昔のイメージとはすっかり変わってしまい、会場を徘徊してはステージに茶々いれる、怪しい風体のやんちゃなヘンなオジサンと化していて、風太の紹介によると「大阪の天然記念物!」として近年の春一では常に笑いをとる人気者であった。個人的には、中川イサトのような真摯なギター求道者になってほしかったのだが…。
そして、音楽は別にすれば今回の旅で一番の収穫は、迂闊にもこれまで知らなかった素晴らしい雑誌を知り、その発行人とも知り合う機会を得たことだ。一つは、先に紹介した『雲遊天下』、そしてもう一つが前回画像を載せたリクオが表紙の雑誌『胡散無産』だ。残念なことに両誌とも現在は諸事情で休刊中となっており、リアルタイムで出会えなかったことを極めて無念に思うが、幸い『雲遊天下』誌は、間もなく復刊の兆しもあるようなので、末永く一号でも続くように非力ながらも応援していくつもりだ。この二誌とも増坊の好きな、春一番に関係深い音楽家たちや、興味や関心ある人々の「情報」がたくさん載っており、自分がもし編集者だったらきっとこんな雑誌を作ったはずだと思える、親戚の叔父さんに会ったような懐かしい編集方針だった。
ずっと消息不明で、気になっていた初期の春一番に出ていたミュージシャンで田中研二という人がいるのだが、その人の「近況」も雲遊天下のバックナンバーで知ることができた。何と、今はオーストラリアで、現地人の奥さんと結婚し子供もいて、翻訳の仕事などをしながらどうやらケルト音楽をやっているらしい。彼を知ったのは高校生の頃、吉祥寺のぐゎらん堂でだった。田中研二についてはまたこのブログで書くこともあるだろうから置いとくとして、そもそもその雑誌の発行人の村元さんは、昔、関西圏で出ていたプレイガイド・ジャーナルという音楽情報誌を出していた人だとわかって、増坊は実はその雑誌、通称プガジャを東京にいながら通信購読していたこともあって、なーんだ、すべてみんな繋がっていたんだなと思った。ようやくバラバラだったパズルのかけらが合わさって見えなかった全体像がはっきりしてきた。極めて私的なことを書いている。他人には何のことか全然わからないだろうと思う。結論だけ言えば、結局自分の好きなこと、好きなものは若い頃からずっと変わらず続いていたわけで、一時はそれを忘れ離れたときもあったけれど、高田渡に導かれてようやくまたそこに戻り、同時代的に同じような仲間たちも遠く離れていてもどこかにやはりいて、ついにこうして出会うべくして出会えたのだと思った。ここまで来るのに50年近くかかった。でももう迷わない。ついに解き放たれる。
昨年12月のフランス、パリから続いていた、増坊の私的な過去を検証する旅は、大阪服部緑地の野音まで続いてようやく終りとなった。長い間おつき合い頂き本当にありがとう!