春一番コンサートについて★↑『ハンパートハンバート』 。今最も旬な、増坊も注目している二人組。
これから何回かに分けて、増坊が観てきた今年の「春一番」について、詳細と感想を書いていく予定なのだが、そもそもこのコンサート、関西はともかく東京ではあまり知られていないかもしれないので簡単にまず説明しておこう。
私感だが、今で言うところのニューミュージック、つまりアーチストが自作自演で曲を作り自ら歌うという“日本のフォーク”はそもそも関西が発祥の地ではないか。加藤和彦、はしだのりひこらのフォーク・クルセダースも京都だったし、初期の大スター高石友也や岡林信康も関西を拠点としていた。そんなフォーク発祥の地で途中間空いたものの通算20回を超し今も連綿と続く関西春の風物詩ともなった野外コンサートが春一番コンサートなのだ。
「春一番」とは、日本のウッドストックとも呼ばれ、その第一回は、1971年、天王寺の野外音楽堂で開催された。68,69の反戦、学生運動の熱気溢れるあの時代、中津川フォーク・ジャンボリーなどの野外コンサートの流れを受け、当時、難波にあったディランというフォーク喫茶にたむろしていたフォークミュージシャンが中心となり手作り手弁当で始まった。その仕掛け人は、今もこのコンサートを仕切っている福岡風太という名物男で、「春一」は、彼が企画し、出演者を選定し、運営しているのは、今も昔も変わらない。1972年の二回目は、東京から「はつぴぃえんど」や「小坂忠とフォージョーハーフ」らロックバンドを招いて大成功を収め、以後1979年まで、9回開催されたが、天王寺野音の廃止などもありいったん終了する。そして、1995年に復活し、以後昨年まで11回、毎年5月の連休に、大阪郊外、服部緑地の野外音楽堂で“大阪名物”として多くのミュージシャンと観客を集め続いてきている。ところが、通算20回節目の昨年をもって、風太ら主宰者たちは、終了を考えていたと聞く。増坊も中川五郎氏からその話を聞き、案じていたが、幸い今年も無事開催され、ついに私的には78年以来、27年ぶりにこのコンサートに参加し、連日かぶりつきで観てきたところなのだ。ただし、風太に言わせると、春一番は昨年で終了し、今年からは新たに「祝春一番」と題して、仕切り直しらしい。といっても知る限り、日本で一番自由でユルいコンサートは些かも変わりなく、会場はタバコもアルコールもおとがめなしだし、犬連れて観ている人は序の口で、椅子席一番奥の芝生ではコンロは使わないものの、演奏そっちのけでお花見状態だし、酔ってステージ前で踊り出す人、ヤジとばす人、子供は会場を駆け回り、名物男オカモトはステージに登ろうとする。これこそ、天王寺の頃と何一つ変わっていない。東京では警備員が目を光らせ前方で客席を監視しているのが常となったが、春一番は今も昔も極めて自由なサイコーの空間なのである。嗚呼楽しかった。これからも変わらずいつまでもずっと続いて欲しい。
★↑増坊が今回初めて知った辛口の漫談ロック『アチャコ一座』。右側ジャージ姿の男が春一名物のオカモトで、何と、1972回から毎年来ては酔っぱらってステージ前で騒いで踊っている。変わらぬ彼に会えただけでも感涙ものでした。