趣味として古本屋を極められたら
昨年は、このブログとアマゾンなどでの本の販売だけに追われて、肝心の自店舗が全く疎かになってしまった。おまけに海外旅行に行ったりと、すっかり商売の方はご無沙汰して、他の同業者仲間から完全に「落ちこぼれ」てしまったような気もする。それに輪をかけての情けない発言と受け取られるだろうが、「商売」としての古本屋はもう撤退することにした。
いや、今までだって、「本業」と言い切るには語弊があるわけで、趣味の延長としてこの商売を始めて、多少は顧客もつき、名も少しは知られぼちぼちだが売り上げも増してきた。しかしそれから先の展開を考えるに際し、常にある迷いが生じ、結局はそれが解消できなかった。その迷いというべきか、悩みとは単純なことだ。本とは売るものか、読むものかということなのだ。
古本屋とは商売の一つなのだから、答えは決まっている。本とは売るもので、仕入れた本を顧客に売って利益を得るものだ。だのに、その以前に本好きである自分にとっては本とはまず読むものであり、全く関心も興味もない本ならともかくも、少しでも面白そうな本なら目を通さずにネット上の店にはおいそれと並べられないのだ。
古本屋という商売は、人によると単なる流通業でしかなく、店に入ってきた大量の本を捌いて、月に何百、何千という本を右から左に動かすこと、つまり売ることに他ならないという。その本を求めている人に手渡すだけの仕事だと。だから途中で古本屋がその本を止めてはならないのだ。だとしたら増坊はそもそも古本屋失格である。
ウチには以前もその画像を載せたように、未整理の膨大な本の山がある。実際にサイトに載せている本などまさに氷山の一角で、その何十倍も「倉庫」に本が眠っている。大方はクズ本かもしれないが、どうしてそんな状態なのかというと、整理管理能力の欠如ももちろんのこと、結局は未読の本で、増坊のところで止まってしまいその先まで流れないのである。
断っておくが、売るのがもったいないのではない。読んだ本はどれでも売りに出せる。本の入荷に対して読むのがおっつかないだけなのだ。この「習性」というのか「病気」は多くの関係者の方々から批判された。そんなんだったら古本屋は向いてないとお叱り受けた。自分でもつくづくそう思う。《もう一回だけ続きます》