パリの異邦人・まとめとして
外国の街、特に知らない初めての街を歩くのは楽しい。今回、ホテルがあるサクレ・クールの丘を下って歩いて何度も通ったのは、スターリン・グラードからベルヴィルへ至る通りで、実はこの辺りは10数年前初めてフランスに来たとき泊めてもらった友人のアパートがあったところに近く、当時何度も来てたのだが、もはやすっかり記憶も褪せ、今一度異邦人の目で確かめられてやはり相変わらず面白い街だった。
パリの駅名や地名には、聖人をはじめとして、実在の人物の名前が付けられていることが多いと前にも書いた。その中でも白眉というか、極めつけは「スターリン・グラード」駅だろう。おそらく今現在、世界のどこを探してもたぶん本国ロシアでも、スターリンの名前を冠した地名、駅名はもはやないと思う。母国グルジアにはあるかもしれないが、今日ではヒトラーと並ぶ独裁者スターリンである。どうしてそれがここパリで地下鉄の駅名となっているのか由来はわからない。しかし、パリ解放のソ連の英雄であるわけだし、後世の評価変転はともかくも未だ記念に名前を残し変えないのもフランス人らしいずぼらさと歴史を大切にする国民性故か。
サクレ・クールの麓からこの辺りまで、黒人の住まいが多いのか、黒い人が多いのが特徴で、それが、スターリン・グラードからはアラブ人が増えて、イスラムの方位系の付いた礼拝用絨毯などを扱う店が続く。さらにそのままメトロに沿って(書き忘れたが、この辺りの地下鉄はパリでは珍しく地上を走っている)、ずんずん歩くと、ベルヴィルに出る。途中はタイ人、中国人が多く住むらしく中華街のような中国人向けのスーパーもある。そして、ベルヴィル。増坊はこの街が一番好きだ。黒人と中国人、アラブ人さらにユダヤ人の姿も見えて、コーランを並べた本屋の隣にユダヤのラビがかぶる帽子を売っている店がある。イスラムもユダヤ人も黒人もチャイニーズも渾然一体となって暮らしている、いろんな言語が飛び交う猥雑かつエキサイティングな人種の見本市というような、まるでブレードランナー的、近未来の都会なのである。見かけないのは日本人ぐらいだろうか。
今回、昔来たときになかったものに、アフリカ向け個室電話屋がある。説明が難しいが、テレクラのようなものではなく、簡単に仕切られた個室の中に電話があり、黒人は受付でカードを買い、それで母国へ電話する。どうやらネット回線か何かを利用しているらしく、KDDIのような正規の国際電話より格安でアフリカへかけられるのだ。ということはこれを利用している人は出稼ぎに来たアフリカ人であるわけで、母国に残した家族にかけているのだろう。昔はこんな商売はなかったのだから、それだけこの10年の間に出稼ぎ黒人が増えたことが推測される。ベルヴィルにもその黒人向け電話屋はいくつもあるのだけれど、残念ながら写真は撮れなかった。この町ではうかつにカメラを構えてパチパチ撮っていると、甘く危険な香りがするからだ。
★これは途中の再開発地区で撮った。バリも場末のスラム街は、今どんどん住民を立ち退かせて近代的集合住宅に立て替えが進んでいるようだ。