負け組からの“抵抗”
通常のブログ記事を書こうと向かったものの、正月二日でもでもあり、何かそんな気分でもないので思いつくまま雑感を書く。
昨年は個人的には良い年だった。願わくば今年も大晦日に振り返って満足のいく良い年であってほしいが、個人の努力だけでかなうものでもなく、人生は不慮の出来事や不運な事態も起こりうる。今のような時代、外は危険だからと出かけないようにしていても地震や災害はどこにいても襲ってくるだろうし、絶対確実な安全などない。努力は大事だが、努力してどうにかなることよりも、大切なのは時の運や、偶然の出会いのような気もする。「プロジェクトX」は面白い番組だったけれど、不愉快なのは難局に向かわざるえないときに、結局は必死の努力と工夫、つまり精神主義で事態を突破できたという成功譚に帰結してしまうことだ。これは危険なことだ。ある成功した一社の影にはその何倍何十倍も錯誤と失敗があり、死屍累々の会社とそこにいた人々が横たわっているのを忘れてはならない。
正月から縁起でもないことだが、増坊にとって変わらぬ関心は、そうした一部の成功者にはなく、大部分のダメだった人、失敗、敗北した者たちであり、その原因やその後の生き方である。
昨年も日本社会は“勝ち組”の話題で賑わった。若き成功者の動静に大衆の関心と人気が集まった。また、その反面である“負け組”さらにはもっと下層な貧しい人々も確実に増え、マルクスが昔言ったように富の一極集中化がますます進み、日本も本格的な階層社会へ入ったようだ。
多くの大衆が金持ち、つまりセレブと呼ばれる人々に憧れ、彼らのように六本木ヒルズに住みたいと願うのはわからぬわけではない。増坊だって金持ちになりたいと願う。しかし、今マスコミで取り上げられるような勝ち組にはなりたくないし、そもそも興味も関心もない。金だって、今よりもうちょっと世間並みに、使うのにためらったり我慢しなくてもすむ程度あれば十分だし、昨年話題の長者番付1位のサラリーマンのように何十億も稼いでなおかつ働き続ける人の気が知れない。
世間では“成功”とは、ベンツなどの外車に乗り豪邸に住む大金持ちを意味するのだろうが、本当にそれは成功者なのだろうか。もし、それほどの大金が手元にあるのなら、個人で用いずに、世界の貧困社会や地球環境、野生動物たちのために使うのが真の成功者ではないか。
例えはヘンだが、ヒルズに住む若きベンチャー企業の経営者よりも、グルジアの寒村に住む老いた農民に増坊は惹かれるし、彼らの方が心豊かに暮らしているのではと考える。
しょせんは人は必ず死ぬ。金持ちにも貧乏人にも死は平等に訪れる。そして富の配分はパイの切り分けに喩えられる。地球という星の限りある富、資源を一人が多く切り取ってしまったらば、残りの部分はますます小さくなってしまう。一生涯かかっても使い切れない金がありながら、さらにもっと稼ごうと夢を描く人と貧困や戦禍、寒さと飢え、病気に苦しむ人々がいる。
資本主義の構造上、貧富の差と社会の二極化は避けられないものだろうが、願わくば、金持ちである勝ち組や成功者のみが正しく価値があり、理想的であるという常識や、彼らに憧れる風潮が少しでも改められるように、生きていくのに大切なことや人間の価値はそれだけではないはずだと下層階級を代表して“異議申し立て”をこれからも続けていきたいとコタツで酔っぱらった頭で考えた。