さよなら、さよなら ハリウッドについて
ウディ・アレンについて前回に続いて書いている。その、今回の映画の内容について全然ふれていないので少し書く。
“過去にオスカーを受賞したことだけが支えの、今ではすっかり落ちぶれた映画監督。久々に舞い込んだ仕事のプロデューサーはなんと別れた元妻。プレッシャーで目が見えなくなり…。ウディ・アレン自らのキャリアをネタにした自虐的ギャグ満載の爆笑コメディー”とは、本作を紹介するに当たって劇場側?が案内冊子まとめた「粗筋」なのだが、実際にこのまんまのストーリーで、アレン演ずるかつての大作家もこのところは落ち目で、テレビCMなどで糊口を凌いでいた。そこに、ハリウッドを舞台にしたリメイク映画大作の企画が持ち上がり、今では辣腕プロデューサーである別れた妻が、彼を指名する。ところが、彼はプレッシャーのあまり突然目が見えなくなり、仕事を干されたくないがためそれを隠して撮影にのぞむはめに。こう書くと、アレンお得意のノスタルジー溢れるよきハリウッドの世界が劇中劇としてでも描かれるかと思うと、さにあらず、あくまでもそれは映画のセット撮影だけで、当初はもっぱら別れた妻を前にして未練タラタラの愚痴と、目が見えなくなってからの監督業をいかに周囲にバレずにやりすごすか、彼の奮闘ぶりだけに終始してしまう。ソファーに座るのさえもあらかじめ右へ何歩進んで腰掛けて…と練習しておくがうっかり間違えて転んだりモノを倒して大騒ぎとなる。その一挙一動で観客の笑いを取るのだが、しかしこのギャグは大昔、サイレント時代からあるもので、今さらこれを話の核とするのはあまりにベタ過ぎるとつくづく思う。それでも古希を迎えるウディ・アレン大奮闘なのである。
そのなかおやっと思ったのは、目が見えなくなった原因は、自らの過去に目を閉ざしてきたからだと医者たちに諭されて、絶縁していた最初の結婚でできた息子に会いに行く場面だ。するとアレン映画にはまず見たことのないリアルなパンク青年が出てきて、一応彼と和解する。ちゃんと台詞もあり、なかなかしみじみとしたシーンとなっている。パンクロッカーなどこれまでの彼の映画では絶対登場しないキャラであり、実際の監督として彼の新たな意欲が感じられた。
今回、彼の歳も鑑みてつくづく思ったことだが、彼自身がデビュー当初から何十年も延々と演じ続けているこの自作自演映画のダメ男というキャラクターは、もはやウディ・アレンという監督と表裏一体となって、現実の当人はもちろん別人格なのだろうが観客にとっては毎度お馴染みの映画に出てくる期待通りの「ウディ・アレン」という人物になっている。どの映画も同工異曲、偉大なマンネリだと言われつつも若いときからこの歳までずっと同じ役柄を演じ続けてきているのは実はスゴイことかもしれない。あの天才藤山寛美のアホ役しかり、渥美清の芸の集大成であるフーテンの寅しかり、ウディ・アレンが自ら演じ続ける神経症的ダメ男というのも究極の一芸であり、もはや至芸の域に入ったと言えるかもしれない。そう考えると、たとえあまり笑えなくてもマンネリであろうともトリビュートの気持ちを込めて、彼が生きている限りウディ・アレンの映画が来たら観に行かなくてはならないはずだ。
この歳で今もコンスタントに映画を撮り続け、しかも自作自演もまだやっている。世界の映画界をみてもちょっとこんな人はいない。考えるにウディ・アレンは映画作りが本当に好きなんだと思う。向こうでは彼は多くの俳優達に尊敬され、出演依頼が相次いでいると聞いていたが、それも当然だろう。もはやウディ・アレンは映画界の至宝に近づいてる。はっきり言おう。面白いか、つまらないかは関係ない。ウディ・アレンはもはや存在することに価値があり、唯一無比のウディ・アレンというジャンルになっているのである。