民主主義を否定して何の改革か
いいかげん小泉首相への批判は終わりにして本のことを書きたいと増坊の内心も望んでいるのだが、昨日分のプログ、やや舌足らずな点もあったので少し補足しておきたい。
そもそも今回の総選挙となった、首相独断での国会解散劇の経緯について思い出してもらいたい。つい先日のことだから記憶に新しいはずだろう。
日本の政治形態は衆参の二院制をとっている。その理由として、国会で法律を決める際、より慎重に審議を尽くし民意をあまねく反映させるためだろう。だから時には、衆議院で可決された法案でも参院では否決されることもある。どちらの議員も国民から選挙で選ばれたとはいえ、参院には解散はないから、よりじっくりと慎重な審議ができるという利点がある。だから参院は衆院のチェック機能を持つと言われる所以だ。これが日本の民主主義政治の仕組みであるのは学校で習ったことだ。首相が積年の課題としてひたすら固執する郵政民営化法案が、たとえどれほど良い、国のため国民のためとなる法案だとしたとしても、衆院で可決されても参院で否決されることは決して間違いでもなくしごく当然のことだ。ときにありえることでありそれが民主主義、二院制ということなのだ。ところが首相は、参院での採決に当たり、「賛成しないと衆院を解散するぞ!」と参院議員を脅迫、恫喝した。これ自体参院の独自性を否定するものであり、法案に既に賛成した衆院議員を“解散”という脅しで「人質」にとるテロリストのような卑劣な手法だった。しかし、参院議員の多くは彼の理不尽な脅しに屈することなく参院の良識を示したのだ。結果、大差で否決。そしてテロリストが要求がかなわぬ時やるように人質の殺害ならぬ、「解散」となり、今回の選挙となってしまったのだ。 増坊にはどう考えてもこの一連の経緯が理解できない。どう考えても道理がない解散劇だ。そもそも衆院でさえも薄氷を踏む思いで成立した法案なのだ。参院で否決されたら潔く内閣総辞職すべきではないのか。またたとえ、衆院で自民党が大勝したとしても参院のメンバーは否決した人たちのままなのだからどうして法案が今度は成立するのか。そしてさらに頭を悩ますことはこんなわけのわからないことを独断でおこなう首相をどうして支持できるのか。改革の是非を問う国民投票だか何だか知らないが、この法案がウソと欺瞞に満ち、国のためにも国民のためにもならないものであることはこれまでもこのブログで何回も書いてきた。 今彼を支持応援する人たちは、ここで“改革”しないと日本はこのままでは大変なことになると思っているからだろう。破綻寸前なのは確かに事実である。だが、こうなるまで政治を担当してきたのはどの党で誰だったのか。首相もかつての内閣で数々の大臣を担当してきたではないか。そこに責任はないのか。その党とその人にどうしてカイカクができるものか。この郵政法案一つをみても国民、特に弱者や地方に住む人たちに痛みをさらに強いるだけの悪法なのだからいいかげんに彼のウソと詭弁を見破り、今度はだまされないぞと怒りの声を上げるときが今度の投票日なのだと考えている。が…。