自由でないのが自由業
会社という組織や対外的立場に身を置いていない、インターネットで本を売ることのみを生業にしていると、外の世界、つまり世間というのは、お客様からの注文メールだけでしかない。だから全然知らなかったのだが、どうやら世間は今、お盆休み、つまり夏休みの真っ最中らしく、テレビのニュースで帰省ラッシュで高速道路の渋滞が何十キロとか報じているのを聞いて、今はお盆休みなのだとようやく気がついた次第。どうりで、アマゾンでの他の出品者の中には、~日から~日まで夏期休業とします、などとコメントしてあるはずだ。実際に店舗を開いて、人を雇っている店ならこの8月のお盆と年末から正月までは必ず休むことになっているらしい。だが、ウチは関係ない。今日も2冊注文メールが届き、明日朝一番に発送しなくてはならないし、いつ何時注文があるかわからないのだから、わざわざ休業と銘打って客を逃す理由がない。
考えてみると、バイトも含めてまがりなりにも勤め人というか、組織に属していたとき以外、夏休みなるものはきちんととったことがない。自分一人でやっている“自由業”というのは、確かに自由であるかわり、そうした季節ごとの節目となるべき休暇などもない。むろん、自分勝手に夏休みを作り、仕事から解放されればいいのだけど、元よりネット古本屋をはじめ自分のやっていることは金になるかならないかは別としてすべて趣味なのか仕事なのか境目が曖昧で、確実にやらねばならぬことは、注文を受けての本の迅速な発送だけで、あとはすべて自分の裁量というか、マイペースでだらだらやっている。気軽ではあるが、仕事としてのけじめはない。マンガ家なども似たようなものだから、ある知り合いは、わざわざ近くに仕事場を借りて平日は定時にそこに出勤し、定時に帰宅することを試みた。しかし、〆切りに追われ仕事が滞るとそんな会社員ごっこはままならず、生活は不規則にメチャクチャとなり、結局元通り自宅でだらだら断続的に仕事しているそうだ。勤め人の方々はこうした自由業を羨ましく思われるかもしれないが、こちら側からすると、仕事に始まりと終わりがある生活というのにすごく憧れがあり、結局、自由業なるものはどこまで行っても解放も終わりもなく、仕事をしていなくても仕事のことが気に掛かり、終業というけじめがない。つまり自由な時間があるから自由業だと思われるだろうが、実は本当に自由になることがないのが自由業なのである。世間様が休んでいる夏休みでも一人コツコツ机に向かっているのが“自由業”の実態なのだ。
でも世間は夏休み。自分もたまには、一日ぐらいパソコンと本の山から離れて、本当に仕事は忘れてのんびりしたい。でないとストレスで頭がおかしくなってしまいそうだ。そこで、来週の今頃、近場の温泉もある海へ一泊二日で行こうと計画を立てた。そしてもう一つ。秋にはヨーロッパへ仕入れも兼ねた旅行へ行く予定も漠然とだがある。これは長年の夢だった。ようやく小金も少しは貯まったので今年こそは行けそうだ。そうなると、古本屋の商売も休業中との告知を出さないとならないし、その間はこのプログも当然書くことはできなくなる。まあ、詳しい日程はおいおい発表していくけれど、たまにはそんな贅沢をしてもバチは当たらないだろう。そのときこそ本当に自由業の“自由”が味わえるに違いない。