追悼・串田孫一
死んだ人の夢をこのところかなり頻繁に見る。――という書き出しで串田孫一に「お迎え」と題した短い随筆がある。元々は文藝春秋の大衆文芸誌『オール讀物』の巻末に、昭和44年以来ずっと続いて、月ごとに何人もの作家で書き綴られている短い名物コラム『おしまいのページで』に、昭和57年4月号で発表されたものだ。
今、トイレで日々数ページづつ読み続けている文庫本で文春文庫から出ている『おしまいのページで』と題した本の中に収録されている。井伏鱒二、尾崎一雄、開高健、丸谷才一、山口瞳他のそうそうたるメンバーが昭和44年7月の開始から昭和60年12月号まで17年間、毎月一話づつ書き続けたものをまとめた、いわばそのページの総集編だ。その名物コラムが今も続いているのか、今はどんな人たちが書いているのかはさておき、その中の串田のそのエッセイを要約するとこうだ。
数年前に亡くなった辻まことの夢はこれまで三回見た。最初の夢では青白く窶れ切って、《略》応対しているのが辛かったし、《略》死んだら楽になると思っていたら飛んでもねえや。そう言っているのがやっと聞こえた。
二度目の時はすっかり元気になって、シャンソンでも歌い出しそうだった。私は前の記憶があったのか、よかったねと言うと、あんまりよかあない、毎日ライスカレーばっかりで、たまにはカレーライスが食べたいよと言っていた。
そしてつい最近、三回目の夢の中では全く健康体だった。
――増坊は、串田と辻まことの仲は寡聞にして知らなかったが、二人を結びつけたものは、“山友だち”ということだろう。そして辻まことは串田の耳に口をあててこう言うのだ。
向こう側の世界の探検はすっかり済ませたから、今日は迎えに来たんだ。痛快なところが見附かったので、これは是非見せなければと思ってね。
――串田がその誘いに躊躇していると、
またこの場所まで必ず送り届けてやるから、絶対心配は要らない。この世から去って行く時の気分を味わったら何度でも死にたくなるさ、などと言い、串田はまことにつかまって静かに離陸する。十数人の知人友人が二人を見送っている。そして、そこで夢がさめた。
――不思議な夢の話である。このエッセイの最後は、その夢の話を友だちにしたところ、大体みんなその痛快なところへ行けなくて惜しかったねと言い、そういうときは断固として断らないと本当に行ってしまうぞと忠告したのは一人だけだったとユーモラスに結ばれている。
不思議な話だなあ、でも辻まことは串田の夢の中でも実に辻まことらしい。などと考えつつ、トイレから出て、朝の食卓に向かい朝刊を開いたら、その日の死亡欄に、顔写真入れで串田孫一氏死去、とかなり大きく出ている。驚かされた。偶然にすぎないが不思議なことだ。あの世とこの世をつなぐ夢も不思議だが、本と読み手にも何か不思議なシンクロニシティというようなものがあるのだろうか。
そして考えたのは、串田孫一は、とうとう辻まことに手を引かれて、「痛快なところ」に行ってしまったのだなあ、という感慨だった。いや、このエッセイを書いてから何十年も経っている。すでに何回も串田は辻と一緒にそこへ行っていたのかもしれない。ただ、今回は気まぐれなまことがきちんと串田をこの世に送り返さなかったのか、それとも串田自身がもはやこの世に戻らなくてもいいや、と思ったのか。その日は1日そんなことを考えていた。