思う存分本が読めたら
九州から上京して、今専門学校に通うために同居している甥っ子は、実家が農家なのに、野菜が嫌いだ。その家では、彼を長男に男ばかりの3人兄弟だが、3人とも野菜よりも、肉などが好きで、彼曰く、一流の家では野菜など食べない、だってマズイんだもの、とほざいていた。そりゃ、若いから当然蛋白質が必要なのはわかるが、あまりの言いぐさではないか。考えるに子どもの時から農家だから家の食事は畑でとれる野菜中心に傾きがちで、それもあって野菜キライになったのだと思う。あまりにたくさん身近にあるとうんざりするのは何だって同じことだ。
では、本はどうか。自分の場合考えてみると、家には文学全集や百科事典、父が戦後買いあさった雑本、全集端本、その他祖父の残した戦前の本までむやみやたらとあちこちにあった。そして、今もネット古本屋をやるようになってから、さらに加速度をつけて本は増え続けている。さすがに、前に公開してしまった倉庫の状態のようだとうんざりもすることも実際あるが、だからといって本がキライだとか、いやになったりすることはない。あんな状態だって、それがたとえクズ本ばかりだとしても本がたくさんあるのは嬉しい。そして場所さえ許すのならば、もっともっとたくさんの本を集めたいと思う。それは何のためか。売るためか。それもあるが、それ以上に強く思うのは、本をたくさん読みたいからだ。
そして何が今一番辛いかと言うと、うんざりするほどの本に囲まれているのに本を読むことができないということだ。なぜかというと古本屋などを始めてしまったからなのである。
ネットで古本屋を始めたとか、古本屋をやっている、などと言うと、本好きな方からはたいてい「本に囲まれて、本がたくさん読めて羨ましい」などと言われる。ところがどっこい、古本商売をやる前の方がよっぽど本がゆっくり読めた。今は何だかしらないけど忙しくて、落ちついて商品以外の本を拡げて読むことなどまずできない。自店舗だけで、閑古鳥を自由に鳴かせているうちはまだ読めた。ところがアマゾンで商うようになってからメールチェック、出品、再出品、受注、在庫確認、梱包、発送、そしてまた検索、出品と、一日に何時間もパソコンに向かっている。その他、家事介護など雑用もあって、今ではベッドに入って眠る間際に文庫を開くか(すぐ眠くなって一冊の本を読み終えるのに何週間もかかっている)、トイレの中で数ページづつ読み進めるくらいだ。
まあ、仕事を持っている人はみんな大方そうした状況だろう。仕事が本に関わるだけで違いはない。出版社の社員だって自分が関係する本や雑誌以外、趣味の本は読むことは少ないかもしれない。考えるに一番本を読んでいるのは長距離通勤のサラリーマンではないだろうか。先日も帰宅時間に下りの中央線に乗ったのだけど、多くのオジサンたちや、OL、学生たちが本を開いていた。
増坊の住んでいる街から都心まで約一時間。朝のラッシュ時間はどうか知らないが、往復で2時間。これなら文庫一冊ゆうに読める。本が読みたいがために通勤しようとは思わないが、どこかでそうした時間を作らないとこのままでは欲求不満で発狂するか、本当に本が嫌いになってしまうかもしれない。それを咎められたらきっとこう言うだろう。「一流の人は本なんか読まない。だってあれはつまらないから」と。