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まずいわき市内の様子から 3.11の東日本大震災については既に各種報道は成されて、テレビでは特番も組まれているし、全貌を記録する写真集のようなムックもいくつも出されている。が、ほんの短時間であったが、「被災地」を訪れる機会を持ち自分なりにそこで見てきたこと考えたことなどについて報告したいと思った。
以下画像を交えて現地の様子をお知らせし私的に記録しておきたい。
誠に迂闊で恥ずかしい話だが、今回の大震災、被害の大きかった東北三県のうち、巨大津波に襲われ大きな被害があったのは、岩手、宮城の海岸沿い、いわゆる三陸海岸の辺りの話で、福島は抱える原発事故などによる避難や退避などでの被害が大きく津波はさほどではないのではと考えていた。今では千葉県でも海岸沿いの地域では数百件の家が流されたりかなりの被害があったと人から聞き、茨城も含めて太平洋に面していた海岸沿いは総じて津波に襲われ甚大な被害があったことを知っているが、訪れた頃の自分の認識は福島の津波被害は大したことないだろうという甘いものであった。岩手や宮城に比べて報道されるのは原発事故の状況ばかりということもあったからだが、それが現地を訪れ見たことはまさに言葉を失う惨状であった。思わず「世界の終り」という言葉が頭をよぎった。
今回自分が福島県いわき市を訪れることになったのは、好漢平井正也君が企画した被災地支援コンサートに参加するため彼が手配してくれたスタッフ関係者用のツアーバスに乗れたからだが、高速道路はもう普通に動いていたし、いわき市に入っても車窓から見る限り大地震の爪痕はほとんど何も感じられなかった。JRいわき駅近くの商店街も通常にやっていたし、原発の風評被害を除けばいわきの人たちは前の通りの生活を送っているように思えた。
しかし、目をこらせば、地震の揺れで瓦が落ちたようで屋根には青いビニールシートがかかっていたり塀が倒れままだったり、歩道のブロックが崩れたりして修復がまだなされずそのままになっているところも多々あった。あちこちかなり危険であるし歩きにくい。
また街を歩いていると入口に紙が貼ってある建物がたまにあって、読むと、赤い紙は、倒壊の危険性があるので立ち入りを禁ずるもので、黄色い紙は物が落ちてくる可能性があるなど注意を呼びかけるものであった。
上の写真はライブハウスの向かいの商店だが、右の八百屋は営業中だが、左の食堂には赤紙が貼られていて無人となっていた。横から覗いてみると確かに著しくひしゃげている。これではもう一回大きな余震が起きたらぺっちゃんこであろう。↓
この日、震災から二か月目前で、ようやく老舗のコロッケ屋が営業を再開した。長年いわきの人たちに親しまれてきた店らしく、裏通りにありながら終日長い列ができていた。増坊も開演前に買い求め食べてみた。衣が硬くて食べごたえがある昔ながらのコロッケだった。