場の流れを的確に掴み進めていくには
映画・演劇にせよ音楽イベントにせよどんな企画でもそれを実現させるには、プロデューサーや監督的立場の人間が必ず必要だ。一切の仕切り無しに偶発的に生まれる集会のようなものはかつては新宿西口フォークゲリラ騒動のようなものがあったかもしれないが、それだって多少の世話役、呼びかけ人のような人がいたかと思う。
ライブやコンサートだって、基本は音楽監督、舞台監督のような立場の人が必要なのは言うまでもない。しかし、今問題としているのは、そういう裏方ではなく、ステージに立つ側の人のことで、ラストのアンコールの時など臨機応変に誰が仕切るかということだ。つまり、その場を統括する指揮者のような人である。ところがこのフォークソングの世界には意外に少ない。ミュージシャン=コンダクターとは限らない。
そんなことに気がついたのは、もう何年か前、高田渡死去のすぐ後に、近くのライブハウスで、やはり彼を追悼するライブが企画されそれに出向いたときだ。そのときの出演は、確か三上寛、斉藤哲夫、シバ、それに我らが中川五郎氏も飛び入りで参加されたかと記憶する。他にもいらしたと思うが失念した。
それぞれのミュージシャンが自らのうたを唄い、最後に全員揃ってせっかくだから渡さんのうたをやろうということになった。なったのは良いが、その頃はまだ今のようにアンコールで全員で「生活の柄」などをやるスタイルが定着する前で、その曲をやろうにも、各自、キーは何だっけ、俺それやったことがないよ、誰が最初に唄う?とステージ上であたふたしてもめて、大変もたついていた。
考えてみると凄いメンバーであったが、皆さん誰も超個性派というか、異能シンガーであり、他の音楽家と絡むことが少ないもともとワン&オンリーで活動することが多い協調性に欠ける方々であったのだから仕方ない。
いったいどうなってしまうのかと案じていたら、幸いそのときは、上記の方々以外に青森の
高坂一潮さんがいたから彼が音頭をとってまずリードを唄って、次いで他の人たちにふっていったからその場はうまく収拾がついた。今思い返しても一潮さんがいなかったらどうなっていたことか。彼のその暖かい人柄も含めて忘れ難い思い出だ。
懐かしい大好きな一潮(いっちょう)さんについてはまたきちんと書きたいと思うが、ライブの最後を締めるアンコールのときには、曲をまず決めてキーを全員に伝えて、せえの、3,4、と的確に音頭をとる人がいないとうまく進んでいかない。知る限りその最適任者は、林亭の佐久間順平だろう。異論ある人はいないはずだ。
★最後の生誕会でのエンディングシーン。天国のパウロ渡氏に出演者全員で手を振った。後姿の順平氏の右隣が藤村直樹氏。彼も天国に召された。