報告滞って申し訳ない。
連日終電近く、酔っぱらってフラフラになって帰宅している。今晩で4日連続だ。自分でも無理しているとわかっているし、無理を通して何とかなっているこの肉体に感心もしている。睡眠不足どころか寝て起きても体は鉛のように重いし、その体を引きずって連日あちこち移動し人に会い笑顔をつくろっている。
ミッキー・ロークの傑作映画「レスラー」では、彼自身演じる今や老いたかつての人気レスラーは、プロレスより辛いのはこの現実、実人生のほうだと言って再び死を覚悟でリングの中に戻るラストシーンで幕を下ろすのだが、つくづく酔っぱらった頭で思うのは帰れるリングがある者はそれだけで幸せではないか。自分なんてどこにも居場所はないし、その辛い実人生しか待っていない。
しかもそれはその映画と同じく自らのダメ人生が招いた帰結であり、ある意味生きている限りその人生は続いていく。ならば辛いかと問われれば辛くも何ともないし、強いて無理やりさせられているのではなく、自分が選び望んでやっていることでもあるのだからグチなど言えた筋でない。でも連日出かけて人と会い、かなりの酒を呑みフラフラになってかろうじて帰る毎日は老いたこの身にはかなり辛い。今は何も考えず全て解放され誰にも邪魔されず一日ひたすら眠りたいと願う。が、早朝から大工は来るし、そこに出かける用事も重なって寝るのは午前様だし、疲労は蓄積し慢性化してきている。それもこれも全て自分がまいた種だ。
そんなとき頭の中に流れるうたは、友部正人の昔のうた、「悦子」の一節で、つくづく「残ったものは空の酒瓶、そして一生かかっても返せない借金の山」という気持ちになる。このところ出費がすごくかさんで、幸いまだ借りてまで補填するところまではいかないが、もはや少ない貯金も完全に底ついた。金はなくなるときは加速度ついて水漏れのように消えていくものだと知った。
今晩はバロンのCD録音の打ち上げで、あの格安のはずの養老の瀧で、自分も入れてほぼ四人で2万5000円も使った。これは自分にとって新記録であり、ちょっと驚くとともに感心してしまった。まあ、いくら安い店でも夕方早く4時台から10時過ぎまでだらだら6時間も呑み続ければ当然そのぐらいになるのだが。今回はそれだけ皆呑めて楽しかったということだから何も悔やまないが、客観的視点で、自分=増坊はこれからどうなるか興味深く思う。
昔は酔っぱらって、皆と別れて帰宅すると、しだいにじわじわと後悔の念が沸いてきて、自分はいったい何をしているのかと苛んだ。でも今は、そうではなく、当然呆れもするが、逆に感心することも多い。それは他人事のように自らを見て、この男の行く末どうなるのかと訝しくとても興味深い。もうダメだろうと思う反面、もう少し持ちこたえるかと期待する気もある。
もう十分放蕩の限りを尽くしたからいつ死んでも良いと思う反面、いや、まだまだここで死んだらあかんやろと言う内面の声もある。それはともかく、今気にかかるのは藤村直樹さんのライブの報告も含めて、未だそのことがブログにかけずに日々の雑多な用件がまた次々押し寄せてきて、きちんと「報告」がいまだ出来ないことだ。これから5月に入ればいければまた大阪に行くことになるし、となると過去のことはどんどん後回しにされ、書けないまま放棄されてしまう。そうした書けなかったブログの山が膨れ上がっていく。
大阪の春一に行くにせよ行けないにせよ、一昨日の吉祥寺の渡会も含めて今月中、近日画像入れて全部アップさせていくつもりでいる。
家の方も施主がすべき作業はもうあと少しとなったし、バロンのCDのほうも今日で録音は終わった。一つ一つかたがついて時が過ぎていく。やがては家も建つしCDも完成する。そこまで体が持ちこたえられるかすごく不安だが今案じてもしょうがない。すべてそのときはそのときだ。
何せよ読み手である他者にとってはどうでもいい関心外のことだろうけれど、これからどうなるのかどう進むのか、誰よりも自分自身が興味深い。