直接お会いしたわけではなく、人伝ての情報だが。
拙ブログ記事に迅速なコメント誠に有難い。そう、最後の春一番コンサートをしめた70年代春一の「顔」であった男、朝野由彦はどうしているのか、増坊は自分もフォーク回帰して以来、ずっと気になっていた。
近年の春一の会場も含めて、様々なライブに通い続けているうちに、しだいに顔見知りになり同好の友もでき、好きなミュージシャンの話に花が咲くこともある。そんなときやライブがはねた後、打ち上げでミュージシャンと同席したときなど折にふれ朝野さんのその後について訊ねて何かご存知か消息を確認した。するとおぼろげだが、わかってきたことは今は音楽はやってなく、名古屋のどこそこで客商売のお店をやっているということであった。ただ、それも詳しいことは定かでなく、確かなことはご健在だということぐらいで、まさに風の噂といった程度の情報で、真偽の程は確認できないままだった。
ただ、元々が名古屋出身の方であるし、略歴にあるように、昔から親しく、いまや名古屋のドンといった風情さえあるいとうたかおさんに聞くのが確かだと思い、今年の晩夏、津のええかげん祭りでお会いしたとき、彼も含めそのライブに出られた朝野さんと親交のある名古屋圏のミュージシャンの方々に確認してみた。そしてわかったことは、わりと最近までギャラリーを経営されていたそうだが、そこはやめて現在は豊田市の郊外の方で農業をされているということであった。連絡先も教えてもらえただろうが、フォークソングという接点がもはやないならファンだとしても赤の他人がいきなり訪ねたり電話したら失礼千万でしかない。
音楽をやめた時期とその理由についても訊ねたのだが、時期はともかく、そのギャラリーで近年ライブをされた方の話では浅野さん自身はそのステージに上がることも唄うこともなかったとのことで、やはりもう音楽と離れた生活をおくられているようだ。何故うたをやめてしまったのかはわからないものの、80年代以降の彼の内面の変化(それは他者から見た変化であるが)についてお話は少しは聞けたのだが、今も健在の一私人について、誰が目にするかわからない拙ブログで、人から聞いたことを鵜呑みにし記すことはすべきでないと考える。当人直接ならまだしも他者から聞いた確認できない話をあれこれ書くことは、プライバシーの問題以前に結果ご迷惑かつ人権侵害となるから説明不足ですまなく思うが、報告はここまでしかできない。
ただ、今もお元気なようだし、それだけでも昔からのファンとしては一安心できた。願わくば別なお仕事をされていても、ぜひまた趣味のような形であってもいつかまた音楽を再開して気軽にそのお姿を今の春一番でゲストとしてでも見せてほしいと強く思う。やはり昔好きだった林ヒロシは、今やカンヌやロカルノでの世界的な映画監督小林政弘として映画界で大活躍中だが、それでもたまにだがギターを手に昔と変わらないしみじみとした唄声を聞かしてくれるときもある。どうか朝野さんももう一度うたを唄ってほしい。あれだけうたに対して情熱を持ち、しっかりした確かなうたを唄っていた人なのだ。素晴らしい曲がたくさんあるのに実にもったいないではないか。そう、もっと唄えます、と。
★増坊も東京から観に行った1977年の春一番実況録音盤ジャケットから。いとうたかおも皆若い!風太曰く、「20代最後の春一番です」。あれから30年以上の月日が過ぎたと思うと感無量だ。そうか、70年代最後の春一番から今年でちょうど30年だ。