さまざまな思いが駆け巡った晩
昨晩12日の荏原中延のスナック、ニュー美浜での岡大介ソロライブは、選りすぐりのコアなフォークファン注視の中、約2時間全19曲を歌い継ぎ、万雷の拍手のうちに幕を閉じた。今の彼ならこのペースでいけば6時間60曲は余力を残し簡単に達成してしまうことであろう。こちとらはカウンターの中で観ていただけであったが、当日までの連絡調整等も含めて企画側となるとそれなりに気を使いかなりの疲労感を感じた。しかし、たっぷりと彼のオリジナル曲が聴けたし、聴きながら様々な思いが沸いてきた良質かつ充実したライブであったと思う。果たして観客も自分と同様に岡大介との思いを共有できただろうか。何事においても常に後悔気味の増坊だが企画に関わったライブとしては今回は自分の満足度はかなり高い。場所も出演者も観客の質も全てが良かったからだと思える。そして改めて彼の求心力に感嘆した。
終わったライブについて、その場にいなかった人に文字で様子を伝えることはいつだって難しい。まして心のうちのこと、感動や感激、衝撃はそのライブ映像でもないかぎり無理であろう。もちろん、今回も親友にお願いしてビデオで記録として映像は残してある。が、それだって、ユーチューブなどで公開したとしても、あの画面では場の雰囲気は何とかわかるものの、本当に肝心なことは伝わらないと思う。怖いのは、その上っ面の部分だけで、そのビデオを観た人が、ふーんこんな感じのこんな人なのかと思ってそれで得心してしまうことだ。もちろんそこから興味を持ち次のライブに来てくれれば、その映像を公開する意義もあるが、たいがいはそれで興味は終わってしまうことが多いのではないか。パソコンに精通しそこから多くの情報を得ている人こそ、腰が重く出不精で、実際はアクティブにモノゴトに関わらないのが常だから。本当に大事なことはその場に出かけ同じ時をミュージシャンと共に共有することなのだ。それこそが同時代に今生きていることなのだから。パソコンオタク的な人はそのことがまずわかっていない。パソコンで情報は世界中に繋がるが、本当にたいせつな感動は伝えてくれない。
そのDVDも関係者間には岡君と撮影者の許可を得て、配布したり観てもらえるようにしているが、どうしても地方にいて、岡ライブが観れず、何らかのカタチで音楽に関わっている方、岡大介のファンと、このブログで彼に興味をお持ちの方には、今回の映像も近日上がるので、ご連絡あればそれを贈呈したく思う。そして、いつの日かその地元に岡君を招いてもらえたらさらに良いと思う。
さて、そのライブ、今回は二部構成で、前半は、岡大介がギター1本のソロで、彼の初期の自作曲を中心に披露し、短い休憩を挟んで後半は、このところ共演を重ねているアコーディオンの熊坂るつこ、打楽器バウロン奏者のトシさんも加わり、彼らのサポートを受けての近作中心の演奏となった。曲作りを始めた頃の素朴な曲をしっとりしみじみと披露した前半に対し、後半はかなりノリノリの激しいダンス音楽的な展開の熱唱で、観客は岡大介の幅広い多様な音楽世界にご満足されたかと思う。
岡大介という人は、曲作りのライターとしてはかなり懐の深い、引き出しを多く持つ器用なタイプで、その分個性が確立していないという批判さえ時に受けることがあるが、それは良い意味での優柔不断性、柔軟さであって、貪欲に異ジャンルのミュージシャンと関わり、またそこから収穫を得てきた結果にすぎない。今回は、ブルース中心にライブを企画してきたここスナック美浜に相応しくブルース的ナンバーも披露し、彼の多彩な一面がまた確認できた。
じっさいの話、増坊は彼のことを高く評価しているが、それはCD「かんからそんぐ」以降からであり、その前の純粋フォーク小僧の頃は観てもいないし全く知らなかった。今回はその彼の持つ、過去の書き溜めたフォークソングの詰まった引き出しを開けて、ステージで披露してくれたわけで、私的にはそこが興味深く大いに楽しめたし認識を新たにすることができ収穫であった。
それにしても唄とは面白いもので、増坊もこのところ家の片付けであちこちをごそごそひっくり返していると、昔の、それこそ十代や大学の頃に書き溜めたものが出てくる。そうした過去のものは、そのほとんどが今読み返すと意味をなさず価値もなく、自分の未熟さと愚かさに苦笑するしかないものなのだが、うたとは、昔作ったものでも今唄いなおしてみると、また違うものがそこに吹き込まれていく、つまり今の息吹が確かにそこに入ってくる。そのことがまず興味深かった。これは今回無理を言って来てもらったプロデューサーである友人、でんでん氏から指摘されたことだが、過去のもの、過去に作ったうたでも、今唄うことにより、今のうたへと修正がきくということは新たな発見であった。他の芸術でこれが可能かというと、身体表現と技巧を伴わないものは難しい。音楽=生でのうたが素晴らしい理由、その魅力が少しだけ見えてきた。そして今の岡林が昔の楽曲を当時と寸分も違わず歌うときのつまらなさ、聴く側の不満の理由がはっきりわかった。
岡大介を聴きながら様々な思いが駆け巡った晩であった。聴き手の思いと歌い手の思いがどこまで結びつき互いに届いたであろうか。