革命の負の部分を描いた「チェ 39歳 別れの手紙」
先日のFUJIロックでも、若い観客を前に
頭脳警察は、圧倒的迫力で熱演を繰り広げ、若い観客のドギモを抜いたと参加した友人から聞いたが、レコードコレクターでもある自分にとって最も価値ある大切な一枚は、彼らが度重なる発禁の末、自主制作した有名なファースト、三億円事件犯人のモンタージュ写真がデザインされた大型アルバムで、それを手に入れた経緯だけで、ブログ3回分程度の長さになってしまうからそれは書かないが、その中にある1曲目、世界革命戦争宣言が今でも時々ふと頭の中で鳴り響くときがある。
赤軍派の議長が書いた有名な檄文をパンタが激しく叫んでいるだけの「曲」なのだが、要するにブルジョワジー、権力者側が、金と力にもの言わせて世界の人民を抑圧し弾圧するならば、我々はそれに武力でもって対決する権利があるという過激な「宣言」なのである。目には目を、歯には歯を、という報復する権利なのだ。
若い頃の増坊は活動家ではなく、どちらかというと自主制作映画などの活動屋のほうだったから、学生運動は関係しなかったが、頭脳警察も含めてやはり大きな影響は受けた。共感しなかったらあの時代を生きた者としてはよほどのボンクラだろう。
そして今回、ゲバラの伝記映画の中で、彼自身の演説での発言を聞き、またその「世界革命戦争宣言」がオーバーラップしてしまった。「革命においては勝利か、さもまなくば死しかない」「勝利までいつまでも前進を、祖国を、さもなければ死を」。こうしたゲバラ語録が往時の活動家たちに大きな影響を与えたことは想像に難くない。革命家とは自らの弱さを克服し、肉体と精神を鍛錬し、決死の覚悟で革命を成し遂げなくてはならない。こうした革命家特有の過激な「論理」が行き着いた先があの凄惨な「連合赤軍事件」であり、ゲバラにとってもボリビア山中での無謀なゲリラ闘争であったのだと今は気がつく。
事実、映画「39歳」の中でのゲバラは、、キューバ革命成立後、約束された地位を捨てて、新たな革命闘争の地を求めて変装しボリビアの地に入るのだが、ボリビア人民の支援も支持も得られず、山岳ゲリラとして最初から最後まで精彩を欠き、活動一年で同士をほとんど全て失った挙句、銃撃戦の末逮捕され射殺されてしまう。そこにはキューバ革命の華々しい英雄の姿は全くない。喘息に苦しむ疲れ果てた中年男としてのゲバラには観客も感情移入することもできやしない。しかし、真に観るべき価値があるのは、運良く成功した革命を描いた「28歳」のほうではなく、この自滅的失敗の末、逮捕され射殺されたゲバラの姿を追った「39歳」のほうだ。威勢の良い言葉を吐いてきた革命的英雄主義の末路がここにはっきりと示されている。
ゲバラという人は革命のシンボルであり、カリスマ的魅力があった人だった。それは素晴らしい。自分も彼に憧れた。しかし、この二部作を、いや「モーターダイアリーズ」までも通して三部作を通して観た場合、彼の革命の限界が読み取れると思う。武力闘争による革命は、キューバでは奇跡的に成功したかもしれないが、今日的に見てもはや時代遅れであった。まして日本においてはなおさらのこと。
今日、アメリカ帝国主義と闘う人々は沢山いるが、アルカイダだって、ビン・ラディンだってテロリストとして一からげなのである。つまり非道に対して非道で報いていては、アフガニスタンやイラクを見るまでもなく、弾圧と戦争の口実でしかなくなってしまう。ボリビアで彼が目指した革命だって、いくらその地の人民が抑圧されようとも外国人であるゲバラの闘争は内政干渉でしかないのである。その地の人民が目覚め自ら決起しない限りは。
何にしろ報復には報復でと、パレスチナのように軍事的対立を続けている限りは世界中から紛争は決してなくならない。しかし、若き青年ゲバラが、旅をして世界の現実を知り、生きることさえ苦しく貧しい虐げられた人々のために世界を変えたい、変えねばならないと決意した意気は今も昔も永遠に色褪せない。一国だけで革命が成ってもそれでは真の解決にならないというのも正しい。ただ問題は革命の方法論なのだ。
果たして今日のような日本の民主主義社会で、選挙による国民一人ひとりの投票で社会が、この国が、そして世界をも変わっていくのかと考えるとかなり怪しい。しかし、若きゲバラのような熱情が若者特有の単なる正義感でなく、自分も含めて今も人々の心の奥底にまだ少しでもあるとすれば、いつの日かきっと世界は革命的に変わるかもしれない。世界は変わる。いつかきっと変わる。そう信じて生きていくしかない。
だからこそ改めて今こそ叫ぼう。万国の労働者団結せよ!連帯せよ! と。