本と音楽の復権のためにも
いろいろあって萎えていた気持ちも持ち直した。
人の死に接したりするたびに、(自分の)人生はどこまで続いていくんだろうと急に弱気になったり、また逆に、どうせ後10年か20年ぐらいでどうせ死んでしまうんだからもうどうでもいいやと思ったり、気持ちは揺れ動いてしまう。それは、やはり前向きではないし、その残りの人生の中でもまだやるべきこともあるのだと自分に言い聞かせている。
さて、何回かに渡って、音楽と映像とのこと、本と音楽、ラジオのことなどについて書いてきた。自分で書いてみて今回気がついて良かったと思ったことがある。
実は、本や古本のブログだと名乗りつつ、いつしか音楽やライブ、日本のフォークソングのことばかり書くようになってしまい、そのことにずっと負い目のような、看板に偽りアリといった申し訳ないような気持ちがあった。だからこのブログのタイトルを変える事も検討していた。
しかし、本にしろ音楽にせよ、同じジャンルのメディアであり、人の心に及ぼす方向では違いがないことに確信が持てたので、今はカテゴリーが同じなのだから音楽のことを書いたっていいじゃないかと思えるようになった。いや、何だって実は同じことであり、自分と言う人間が書くことや唄うこと、及び好きなことは全て共通していて考えてみれば人は生涯同じうたを唄っていくのであるならそこに偽りはないはずだ。
そう考えたら、本の方に重点が行くときもあるだろうし、音楽に偏るときもあるわけで、そのときどき興味の赴くまま自由に書いても良いのではないか。いずれにせよ、自分はまだ音楽など他の行為では表現できず、いやがおうにもこうして文字を連ねて書くことでしか自分を現せない。
そこにようやく少しづつ別な表現行為が入ってきて、人前で語ったり、ときに唄ったりも始めたりしてみたが、やはり荷が重いというか、自分としてはまだ思うことの半分もできてない有様で、失敗か成功は他者が決めるとしても自らは不満足と反省の思いばかりが残っている。しかし、それもまた許されればこれからもやるべき価値はあるかと思う。何故なら、こうして書くことや画像を載せることだけではどうしても表現や説明できないことも沢山あるからだ。特に音楽は、文章ではどうやってもまさに筆舌に尽くしがたいものだから、実際に聴いてもらうしかない。
自分にも他者に伝えたいことや自らを表現したいことがまだいろいろとある。それは結局は本のことと音楽のことに集約されよう。しかし、それをどう誰かに伝えるかとなると、そのやり方が難しい。単なるどうでもいい情報ならともかくも、一応はメッセージであり、“大事な大切なこと”だとこれでも自分では考えている。ただ、そのことをこと細かく文字を連ね、画像を付けてアップしてしまうと、読み手には伝わったかもしれないが、ある意味読み手の想像力さえ奪ってしまう。いや、イメージを固定させてしまう。そのことも心していかねばならないと思った。情報が多いことは決して良いことばかりではない。
結局、本当に大事なことは、バーチャルな追体験、仮想代行行為ではなく、実際の体験、実感だと信じている。そのためにもまずは想像する力を逞しく膨らませて、自らが現実に参加していくことだと思う。それそが真に人が生きるということだと考えるし、夢を夢だけでなく現実にしていくことなのだ。そうしないかぎり世界は真に変わらない。
子供の頃、大好きだったNHKの子供向け番組、ケペル先生(声:熊倉一雄)の教えが今も自分の中には生きている。曰く「何でも考え、何でも知って、何でもかんでもやってみよう」である。