全体を通して観た感想からまずは
戻って一夜明けて。
外は雨が音を立てて降っている。かなりの強い雨で、雨の音で目が覚めた。
このところ例年、大阪での春一番は、5月の連休、前半は暑くなるほどの好天に恵まれるものの、最後のほうになると必ず一日は雨が降る。観客達はそれを高田渡の呪いとか渡の恨み雨などと冗談言うていたが、今年も当初の天気予報では、連休中はずっと好天が続くと報じていたのに、始まってみたらば本当の快晴は初日ぐらいでしだいに雲が出てきて、5日、6日は午後から小雨がぱらついて雨具の出番となってしまった。それでも一日中雨が降り続くようなことはなく、今年の雨は大したことなく折りたたみ傘しか持っていかなかった者としては助かった。先に還暦を祝って三鷹で多くの観客が集ったかいはあったんかと思う。※まだ関西弁が残ってます。
昨晩はかなり深くぐっすり寝たとは思うが、頭はすっきりしてもまだ体中節々が痛い。頭の中は様々な音楽が鳴り響いているし、心の中は良いも悪いも複雑な思いでいっぱいだ。明日の青山での清志郎の告別式はどうしようかとか、様々な人の「死」についてあれこれずっと考えている。
今年の春一は開始直後、彼の死が報じられたこともあり、会場には全体的に追悼気分というのが漂い、それは、昨年元気に出ていた塩月伸次に対しても同じことで、観客も含めて同世代のかつての仲間達が櫛の歯が欠ける様に次々死んでしまうことに、無常感とやるせない思いは誰もがあったと思う。だからといって、ミュージシャン達は決してしんみりめめしくなんかならず、変わらず元気で明るく最高のステージを披露してくれたが。
こう死が身近になってくると、人は自らも含めて何もできなくともともかく生きているだけで有難いと思うし、私ごとに関しては約一週間家を空けて、その間家人は動物たちも含めて幸いにして何も変わりはなかった。居なくなった猫はまだ帰ってこないが、それはともかくおかげさまで自分も含めて全員無事だったことを報告したい。
実は、会場で、まったく見知らぬ女性から声をかけられて、「マスダさんでしょう? ブログいつも読んでます。猫は帰って来ましたか」と訊かれて仰天した。突然のことであんまり驚き慌てたのでどこの人か名前も失念してしまったが、芸能人でもないのにまさか会場でこんなブログを読んでくれる人と出会うとは思いもよらなかった。
どうして、マスダだとわかってしまったのかというと、春一番コンサートで知り合った大阪在住の友人が今回は拙ブログと同名のTシャツを作ってくれて、何人かの仲間たちにそれを配り、ちょっと恥ずかしかったが自分もそれを着ていたからだ。ただ、それを作ってくれた友だち、それを「春友」と呼ぶが――彼らはいつもステージ前で踊っている人なので、この特製シャツを着ているとマスダも「あー、さっき、前で踊ってた人や」と指さされて、このシャツは会場ではかなり目立ったようだ。それにしても顔バレすると迂闊なことは書けなくなりますね。いや、どこの誰が読んでくれているかわからないからこそしっかり書かなくてはならないと思った。
★NOTALIN’S(
遠藤ミチロウ・石塚俊明・ロケット松)を観る春友たち。
さて、初日のニューモーニングから、5日間ぶっ通しで観た者としての感想を一言でいうならば、今年の印象は、あっさり薄味ということにつきようか。70年代の天王寺野音の頃はともかくも、この近年続けて4年参加して感じることは、今年は通常の4日間にプラスしてさらに一日増えたので、例年かなりコテコテ盛り沢山で終わるのも夜常に7時過ぎて暗くなっていたのに、時間的余裕ができ出演者を分散できたせいなのか、6時半頃まだ明るいうちに終わってしまう日も多く、あれっ、これで終わりって感じで個人的にはやや物足りなかった。
これは演奏とか出演ミュージシャンの質とかの問題とは関係なく、観客それぞれ思うところは異なるだろうから、また違うご意見もあろうが、日程的に水増しして時間的余裕を作るのならば、例年のように4日間に無理無理に詰め込んでくれたほうが、東京から参加するものとしては日数として楽であり、何とぞ再考をお願いしたい。
まあ、出る側も見る側も企画運営する側もみな高齢化しているのは現実であり、健康のためにもコテコテの大盛りよりも量も少なくあっさり薄味の方が先々のことを見据えると楽で良いのかもしれないという気持ちもまたある。ただ、本番4日はともかく自分のように5日間も連日通い詰めると時間は早く終わろうが、疲れるのは結果同じことであり、最後は集中力、気力も萎えて今回はかなりバテた。4日間だとあっという間に気がつくと最終日になって物足りなく思うのに今回は正直うんざり気味でもあったから難しい問題だと思う。しかし、通しでなくて一日、二日だけしか参加しなかった人は今年みたいなあっさり薄味の春一番で果たして満足できたんか訊いてみたく思った。