主体として「女」を唄う佐藤葉子を高く評価したい。
もう開き直って、どうせこんなブログなどヨザクラ氏以外は読んでいないものだと割り切って、あるがまま思うところを書く。カミングアウトしようか。昨晩(25日)は西荻のみ亭で佐藤葉子のライブに行ってきた。その報告。
実は、増坊は女なのである。いや、生物学上は男として生まれたのだが、その内面は、極めてすべてに女性的で、感性の面において、自分は男ではなく女にはるかに近いと思っている。
では、かといって、流行の性同一障害とか、ニューハーフとか、ホモセクシャルとかとはもう一つ違って、世に言う、女性的という部分=料理やら「生活」重視の部分は一版的男性に比べて多いとは思うものの、実態は情けないことに全く男であり、男性を性的対象としては見られないし、かといって女には全然相手にされず、女の友達はやたら多くとも「男オバサン」として、どっちつかずで、男らしくないと嘲笑らわれつつ馬齢を重ねてきた。まあ、何が「女」らしいかという定義にもなるのだが。
そんな人間の目で見ると、この世の中は、男女同権と言いつつも女性ははるかにハンディがあり、全然同権ではないと嘆息してしまう。正直言って、「男」として運良く生まれてきて本当に良かったと思っている。実際に女の人は、今の世では大変だ。なぜなら産む性として、その重荷を望まざるのに生まれた時から背負わされているのである。これは本当に不公平である。
今の世の中、女性も社会進出して、男女の差は、原則として無いことになっている。だが、現実の話、あきらかに、社会は男のものであるし、女の社長なんて、大企業ではまず一人もいない。これは黒人も同じで、建前と現実はかくも違い、有色人種が大統領になるのも稀有な歴史的事態であり、女性が国のトップに君臨するのは、さらにまたその先のように思える。
話を広げたら限がないが、音楽の世界だって実は同じことで、今も昔も女のシンガーなどは極めて少ないのである。と、書くと、そんなことはない、荒井由実とか、竹内まりやとか、中島みゆきら沢山いると反論されよう。しかし、現場だけ見ると、知る限り、活動しているそのほとんど九割方以上が男であり、女のシンガーなんてまずほとんどいない。それは今も昔も変わらない。
もちろん、今やっているNHKの朝の連続ドラマのように、女性の人気シンガーという存在もありよう。しかし、それは、男性スタッフに囲まれて、システムやプロジェクトの中心の女性ボーカルとしての位置であり、女だけで、独自に自ら主体的に音楽をやっているのとは全く異なる。そこを勘違いしてはならない。
現実の話、今も昔もフォークやロックの世界には女性シンガーは数多いた。しかし、本当に引くも進むもたった一人で、男と同じく主体的に唄っていた人はほんの一握りだと断言する。そうした例として、誰を出せば良いかと考えると古くは金延幸子とか、青木ともこのことが思い浮かぶが、それはともかく、今の話として、知る限り中央線沿線ではたった一人しかいない。
佐藤葉子である。まったくもってこいつは女の岡大介である。こんな人は他にいないと増坊は高く評価する。もちろん、まだまだ課題も荒削りな部分も多くある。しかし、女性で、これだけどんと腹を括って唄える突拍子も無いバカはいない。その音楽世界も含めて感心した。うまくすれば、こいつはオオバケするかもしれない。まだ保証はできない。しかし、一度、近しい世界を持つ、さこ大介さんとかと組ませて、きちんと大きなライブをやってみたい。
女が一人で、ギターを抱えて歌うということは、実際のはなし決して今も昔も容易なことではないのである。そうしたなか佐藤葉子のことはずっと気にかけている。この女はすごい。彼女ほど歌える女性が他にいるならば連絡願いたい。この人、まったくもって女性版岡大介なのである。ならば応援せねばならないだろう。