あったこと、起きたことは紙に、本にして残さないと
何だかんだいっても自分は活字人間であり、感性以前に言葉の人間なのだとつくづく思う。気がつくと拙いながらも常に言葉を探している。もっと音や絵画、アートで、感覚や感じたことをうまく表現できたらと願うが、気がつけば、こうして常にパソコンに向かい、話すより以前に文字を打っている。ということはこれもまた「本」のようなものなのだろうか。
しかし、ネット上の表現行為は、たとえどれほどアクセス数が多くても、しょせんは実体の無い、バーチャルな架空のものに過ぎないと思う。もちろん、読んでくれた人に書いたことが伝わるのならば、それは意義あり、目的は達せられているかとは思うが。
だが、ブログなどは、砂上の楼閣以前の蜃気楼のようなものであり、運営管理している提供会社が潰れたり、都合でこの無料サービスを停止してしまえば、たちどころに消えてしまい、この世のどこにもなくなってしまうはずだ。書いた当人も含めて、読みたくてももう読むことはできないのである。大したことは書いてなくとも何年にもわたり沢山あれこれ書いてきた者としてはそれを考えるとすごく不安になることもある。
そう考えると、もし後世にきちんと残したいと思うことならば、そんなブログのような場ではなく、やはり紙の媒体、印刷した形式、つまり本にすべきであろう。もちろんデータとして、HDや、DVD他、モノに落として、保存するという手もなくはない。しかし、それはまずパソコンがなくては読めやしないし、電源も必要であろうし、だいいちどれだけの長期保存がきくかと考えた場合、通常の環境では中性紙に印刷したものより長いことはありえないのではないか。となると一番簡便で長く保存ができるのは本ということになる。
今自分にとって、最も関心あり、なすべきことだと考えるのは、人は必ず死ぬものであるからこそ、体験や記憶を語り継ぎ、記録していかねばならないということだ。それなしでは犬猫と同じことであり、人類の歴史に発展も進歩はない。
気がつけば、音楽に夢中になったとしても何だかんだ言っても結局また本に戻ることになる。そして今、本や雑誌を出したいと強く願っている。ともかく記録したことをカタチあるものにして、後の世に残していきたいと思うのだ。さもないと、人も出来事もなかったことになってしまうのである。人は無から生まれて無に戻る。だからこそ、人や出来事を語り継ぎ、唄ならば歌い継いで行かねばならないし、そのことを紙に本にしっかりと書き記さねばならない。