昨晩のライブの報告の前に
1月も早や先が見えてきて、懸案のことが溜まってしまい焦り気味だ。春も近づいてきたのか、曇りがちの雨模様の日も多いようで、空気も湿って気持ち良い。春はそこまで来ている感じがするし、春からは一気に忙しくなるので、その前にやるべきことを少しでも進めていかねば。
さて、増坊は、四十代後半から思うところあって、再び音楽に趣味、興味が復活した。もちろん、若いときはそれなりに自らも音楽をやっていたし、いわゆる既製の音楽、CDなどではずっと海外のロックやポピュラーミュージックを聴き続けてはいたし、レコードマニアとしては、三木鶏郎、服部良一から、その以前の日本の“ジャズソング”というものを中心に長年集めてきていた。
しかし、実際にライブで生で演奏者、ミュージシャンと対峙し、生の音楽と向き合うことは二十代の頃以来久しくなかった。様々な人を通してミュージシャンを知り遭うきっかけがあり、岡大介という新進気鋭の特異な歌い手を深く知ったことで、小さな居酒屋的ライブスポットで演る音楽を知り、その出演者を交えた場が一体となる濃密な時間に魅せられてしまったのである。思い返せば、そうした記憶の原点は、あの吉祥寺の伝説的な店、武蔵野火薬庫・ぐゎらん堂であったのだと思う。
あの狭く不思議な店内で、若き高田渡や鈴木翁二、シバ、友部正人たちと客もミュージジャンも境なく、がやがやと酔っ払って大騒ぎしていた日々が今頃になってとても懐かしい。今そんな雰囲気が残り、一番近いのは、西荻では「のみ亭」、西国立の「かけこみ亭」だろうか。ライブハウスでは落ち着けないし、お洒落なカフェバーみたいなところは、懐が気になって長居出来ない。第一そうした店は、音楽は商売のための種、客寄せなのである。
だらだらと店主も一緒に酔っ払って、商売そっちのけで好きな音楽にどっぷりはまるような店でないと、自分は楽しめない。これを中央線的と言うか、粋でないと捉える人もいるだろう。でもいろんな場に足を運んでみて、やはり一番落ち着けるのは、のみ亭的なマスター一人でこじんまりとやっている店だし、商売が全面に出てしまうと音楽というものは、手からすり抜けるように、右から左へとただ流れるだけで、何も心に届かない。
これから何回かにわたって、このところのそうした生で聴いた音楽のことや、その場所、そして音楽やうたをとりまく状況などについて考えたことなどを書いていくことにしたい。結局、前書きが長くなって昨日のライブ報告まで進めなかった。
★こうして他の若手と一緒のステージに立つと、一人違う音楽世界で異彩を放つ
岡大介。彼の音楽は、フォークやロックの範疇ではなく、ポピュラーミュージック、歌謡曲に位置するものだと今回改めて認識できた。