2009年は新雑誌とライブ企画と「本」発行の準備を
いい歳して未だ身の処し方が定まらず、年中金策に頭を痛めている人間が、公的活動も何もないと自分でも思うが、さておき、昨秋、両国フォークロアセンターで、国崎氏、神谷氏と会合をもってから、話はトントン拍子に進み出し、ともかく新たな音楽に関した雑誌を出していくことが決まった。雑誌のタイトルや、形態、内容等はもう少ししたら発表できると思うが、そろそろ確定事項として発表しても良いかと考えた。
また、平行して、「本」を出す話も進んでおり、増坊が企画、編纂して来年度には日の目を見るようにしたい。いずれにせよ、これからが忙しくなっていくわけで、自分としては、親たちの面倒を見つつ、家のことを進めて、その傍らこうした活動を進めていくつもりなのだ。ただでさえあれこれ抱えて忙しい者が、そんなにまたやることを増やして収拾つくものか自分でも大いに不安である。
しかし、モノゴトには時節もあるし、人と出会い、話が弾み、そこからまた何か新たな動きが始まり、自分でもそこに関わってできることがあるならば断るべきではないと考える。当然、いろいろ多忙になり様々なトラブルも起こるだろうが、一度限りの人生、先延ばしにしてもその先があるのかもわからない。
で、問題なのは、今まで無名な、アンノウンな者として、ブログで匿名的に好き勝手なことを書いてきたわけだが、今後は多少でも公的にその名が知られるようになっていくかもしれない。となると、これまでのどこの誰だかわからない増坊という人から、特定の「あの人」として明らかになると、他人をイニシャルで書こうと、誰のことを何について書いたのか動向も含めて世にわかってしまう。
これまでは自分のことだけ、してきたことや考えたこと、意見など気軽に好き勝手に書けた。たとえ、ある程度の知名人に関して書いたとしてもその責任は自分だけで負えたし、無名の一私人のブログとして赦される部分も多分にあったと思う。しかし、ある程度社会に名前が出てしまうと顔もばれるし、何をするにも相手のあることなので、何でも自由に書いてもよいとはならなくなる。ブログの問題なのは、どこの誰だかわからない人でも偶然的に読むことができる、読まれてしまうということだ。利点である反面、それは危険過ぎる。
あの三浦さんだって、自ブログで迂闊にサイパンに行くことを書かなければ逮捕されることもなく死ぬこともなかったわけで、誰が書いたかわかってしまうとブログとは家の間取りを公開してカギをかけずにその家を空けるような具合になってしまう。書きたいことも沢山あるのだが、関係した人にも迷惑がかかるかもしれないので、結果自粛せざるえない。
このところそんなことでどうしたものか拙ブログの扱いに頭を痛めている。いったい何を書けば良いのだろう。