今年もいろいろあったけれど
よく晴れ渡った穏やかなクリスマスの朝だ。
両国フォークロアセンターでのライブの後の懇親会で、鰯家猫輔さんがウクレレで熱唱したJ・ガーランドの「メリー・リトル・クリスマス 」があれからずっと頭の中に鳴り響いている。曲も知られざる名曲だが、まさに圧巻であった。岡君のステージもホロリとさせられたが、ネコさんのその歌もしみじみと心に響く感動ものだった。
その二次会は、彼をはじめ異能な人たちの夢の競演という様相を呈し、主役の岡大介の印象がかすむほど強烈な感想を残った観客に与えたようだ。それは非公開のシークレットライブのようなものだったから、できれば今度は、その猫さんを中心にさこ大介さんらも招いて公に宴会テイストの楽しいライブの場が設けられたらと夢想している。
さて、このところのブログは、岡大介の記事や写真ばかりで、あたかも岡大介オフィシャルH・Pの様相を呈していた。まあ、それだけ彼との出会いは大きかったわけで、URCを興すきっかけとなったのが、秦政明が高石友也と出会ったことだったように、岡君を知らなければ、自分はこれほどフォークソングに再び向かわなかったと思う。
たぶん一観客としてはライブなどに足を運ぶこともあっただろうが、それは主に春一番などの場合だけだったろうし、まさか企画する側にまで関与することはゆめゆめ思ってもなかった。まったく身の程を知らず出過ぎたわけで、ノリを越えたと反省している。よもやここまでモノゴトが進むとは、人の世は先のことは本当にわからない。来年は自分も唄っていたりして。
振り返れば今年も多くの出会いと別れがあった。後ほど私的出来事ベストテンみたいなものを並べてみたいと思うが、その中でもかなり上位に位置するのは、十代の頃に出会い、増坊の酒の師匠、鈴木翁二と実に30数年ぶりに再会出来たことだった。
この元マンガ家の、現在は画家であり歌い手でもあるマイナー・ポエットの天性の詩人と現世で再び会えるとはまさに夢のようで、お互いともかく生きていて本当に良かったと思った。
拙ブログでその報告もし、西荻でのライブの記事も載せたわけだが、その部分を紙に打ち出して、今彼が住む北海道に送った。以降、何の連絡もなく、まあ、翁二さんというのはそういう人でもあるから別に期待もしていなかったのだが、今朝方クリスマスに合わせたように、彼からペリカン便で長い手紙と彼がイラストを描いた雑誌が入っている小包が届いた。自分にとってクリスマスプレゼントのように思え感激した。嬉しかった。暖かい気持ちが届いた。まあ、送料は着払いとなっていたのがご愛嬌でいかにも翁二さんらしいか。
件の事故の件や、火事のこと、預けてある荷物のことなどで憂鬱になることも多いのだが、悪いこともあれば良いこと楽しいこともあるのが人生のわけで、来年は翁二さんの待つ北海道に行けるよう、楽しいことを目標にして日々過ごしていこうとクリスマスに誓ったところだ。