後は23日の当日を待つだけ
今日19日は、お世話になった方々にお歳暮を送る用事を済ませて、昼過ぎからは飯田橋に出てギンレイで映画見てから、西荻に戻り、南口の隠れ家キッチン「サンジャック」でのライブに顔を出して結局終電で帰ってきた。
今日のライブは、岡大介を中心に、鰯家猫輔(ウクレレ、バイオリン)、それにサポートで岩淵理緒(クラリネット、ゴロス)という顔合わせで、「古今東西うたうたいの宴」と題しての催しであった。入りは残念なことにもう一つだったが、見識の高い良質なお客が揃ったこともあり、場の雰囲気も相俟って、品良くまとまって満足のいく出来であったと思う。
同じ西荻でも酔客の多いのみ亭でのときと出演者は変わらなくてもこんなに雰囲気が違うのかと考えさせられた。酔っ払いが多い店でやると、ノリは良いが、逆に観客が勝手に盛り上がったりして肝心の音楽に集中しなくなる。かといって、上品な客ばかりだとノリはもう一つで、盛り上がるまでが難しい。
ライブの出来というのは、演者側だけの問題ではなく、実は場全体であり、観客とミュージシャンが共に過ごす時間が双方いかに集中でき、濃密であり一体になれるかではないかと思える。
その音楽がわかっている良い客が多いと反応もすぐ返るから演る側はとてもやりやすい。逆に初見の、しかも年代も異なる客ばかりだと反応も全くなく、手応えを掴むまでが一苦労なのだ。しかし、本当のプロならば、そんなことは一切お構いなしに出たとこ勝負で臨機応変に観客をくすぐって最大公約数的に初めての客の心をうまく掴み乗せる事だってできるだろう。
だが、フォークの世界ではそんなエンターテイナーは数えるほどしかいない。そこがフォークだからでもあり、ショービジネスの世界とは違う、フォークの良い部分であり、ダメな部分でもある。
結局そのことは、実は芸術と芸能の違いであり、やろうとしてることが同じに見えても、異なる意識を持つ人たちがいて、アーチスト、つまり芸術家なのか、芸人なのかという当人の意識の違いであろう。私感だが、日本のフォークソングがもう一つ一般的に支持されない、浸透しなかった理由のひとつはその根本部分を曖昧にしてきたからのようにも思えるのだが・・・。
それはともかく、岡君、ネコさんと細部を詰めたので、もはや23日までにもうすべきことはほとんどなくなってしまった。後は当日どれだけ良質なお客さんが沢山来てくれるかなのだ。ライブ成功のカギはズバリ、観客の数と質なのだから。