メールで何事も済ましてはならないと決意したこと。
他の人はどうか知らないが、ネット古書店という職掌柄、当然パソコンに向かう時間が多いわけで、気がつくとほとんどの用事をネットで済ましてしまうことが多い。
注文のやりとりも友人との連絡も、あるいは何かをこちらが購入する場合でも、パソコンを利用している。それが当たり前だといつの間にか思ってしまい、すっかり依存していたわけだが、この数日、友人とメールで書いたことでちょっとしたことからトラブルが起こり、メールというものの危険性とその問題点にようやく気がついた。
幸い、そのトラブルは直接当人と電話で話して解決したように思うのだが、おそらくメールだけでのやりとりでは互いに本質的問題でない部分を論って、エキサイトしてきっと関係はさらにこじれてしまったことだろう。これは、果たしてメールの問題なのか、それとも本物の手紙とかでも起こり得る事柄なのだろうか。
インターネットでのメール機能というのは便利なもので、見ず知らずの他人とでも、遠慮することなく、まるで独り言の用につらつらと自分の思うところを、時にかなり際どい本音の部分までも書いて送ることができる。それが人と人を結びつけ、メル友なる新たな関係もまた生まれることも多いわけだし、実際、自分にもまだ会ったことのない顔も声も知らないメル友のような人が何人もいる。
しかし、逆につい迂闊に、相手の欠点や気に触るであろうことをつい筆が滑って、いや指が乗って?勢いで書いてしまうこともまたあるかと思う。それで、単に気まずくなる程度ならまだしも、逆にそうしたメールを送られた相手がエキサイトして、また書いた相手を傷つけるようなことを書いてしまったりと相互に応酬し合ったりと意外にネット社会では紛争というべきか、争いも絶えないのではないか。
2ちゃんねるだか、詳しくないのでよくわからないが、どこそこの投稿して何かを参加者皆で語るサイトだと、常にそんな不毛な論争以前の誰かを攻撃する中傷合戦に明け暮れているところも多い。これまでは何でそんなバカな争いが起こるのかと不審に眺めていたが、自らが迂闊に書いたことで相手を怒らせたり傷つけて、初めて、そうかこうして売り言葉に買い言葉で、さらに事態は悪化して本来問題とする本質点からずれて怒りのみが増幅していくのかと思い至った。
もちろん、今回は、全面的にこちらが悪く、何を思ってたか、ついつらつらとどうでも良い瑣末なことを意見してしまい、相手の気持ちに思い至らず、大変失礼なことを書いてしまい不快な思いをさせてしまったのだ。しかし幸い、大人の対応として、お互い直接電話で話したらすぐに感情はほぐれ、関係破綻となるような最悪の事態に至らずに済んだわけで、これがメールだけで延々やりとりしていたら果たして解決したかどうかわからない。
今回の件で気がついたというか、電話で話してわかったことだが、伝達、連絡事項とか、細かい数字のやりとりなどはメールですべきことであろうが、それ以外の本当に大事なこと、互いの感情や気持ち、複雑な考えを伝えるためにはメールなどは本来用いるべきではないということだ。それしか連絡手段がないならともかくも携帯や直電をはじめ、実際に直接会うことも含めて、確かな伝達手段は他にもちゃんとあり、まずそれを本来すべきことなのである。
ところがネット社会の発達につれていつしか、メールの方が楽だと思うようになって、何でもメールで済ましてしまう。相手が読むか、即読むかも定かでないのに、メールを送ったことで気が済んで伝わったかのように思ってしまう。そもそもそれこそが大きな誤解であった。自分もいつしかその悪弊にどっぷり浸かっていたのである。
文字に出来ないこと、言葉に出来ない言葉というものもこの世にはあり、それこそが実は大事だった。メールとは結局たかが文字にしか過ぎないのだ。直接会って、また会わずとも声を通して聴けば、言葉の裏にある本当の気持ちも伝わる。自分はあまりにも文字というものに信頼性と重きを置きすぎていた。今回、友人とのメールから起こったトラブルでようやくそのことに気がついた。
いずれにせよ、手紙でさえ、昔からこう言われていたではないか。真夜中に書いた手紙は、翌朝もう一度読み返せ、と。つい筆が乗って書いてしまった手紙こそ、一晩寝て冷静な目で読み直してみるととても送るべき価値のないものだと気がつくことが常なのだから、そんなテマもなく、打ったらば即送信してしまうメールなどは常にトラブルの種となるわけなのだ。
心してメールは送らねばならないのである。