ようやく長い旅が終わった思い。
本日10月11日、浅草木馬亭での「両国フォークロアセンター40周年記念コンサート」はほぼ満席の観客を集めて先ほど無事に終わった。
自分でも思うがあれだけ豪華多彩な音楽家を一堂に集めて、実に5時間超にも及ぶ室内コンサートというのは、高田渡が死んだときの小金井公会堂での追悼ライブ以来ではないか。その後は生誕会とかあったけれど。自分にとってはそれに匹敵する、今回約20組のミュージシャンが次々と短時間で登場するコンサート、よくトラブルも起きず滞らずに無事に終了したものだと企画した者でも今感心している。まあ、告白すると予定よりだいぶ遅れた進行だったので終日胃が痛くなる思いもしたが。終わり良ければ全て良しである。
それは、多くの友人知人たち、それに音響や照明のプロの方たちのほぼ手弁当のご協力があったからで、そこに志ある出演者がマスダの無理なお願いを快く聞いてくれて成り立った、まさに奇跡のコンサートであった。これが無事に成功できたことで、自分を悩ませていた「呪い」が解けたと思う。
ご来場された方は、大変慌しかったと思うし長時間疲れただろうが、おそらく今回出演された方々の多様な音楽世界の展開に驚かれ堪能されたと信ずるし、その場に立ち会った経験と感動は、おそらく生涯心に残るのではないか。
ともかくこれで自分の中の音楽の旅は、ひとつの終わりを迎えた。このブログも終わったことだし、今後はもう一度軌道修正して、本の世界へまた戻ろうと思っている。まあ、その前にブログ終了に至る経緯と理由をきちんと説明していく。もう少しお付き合い頂きたい。まあ、相撲取りが引退しても髷を切る断髪式までかなり時間があるようなものだと思って下さい。なのでコンサートの様子も画像で紹介できるかと考えてます。
観客、ミュージシャン、スタッフを含めご参加の皆さん、それに来れなかったけれど、宣伝告知にご協力頂いた方々に今改めて感謝いたします。木馬亭さん、それに打ち上げ会場となったお好み焼き「つばめ屋」さんにも。騒がしくて大変ご迷惑おかけいたしました。ありがとうございました。お疲れ様でした。自分で言うのも何だけれど、予想していた以上の素晴らしいコンサートとなりました。観客を含めて皆さんの熱い思いとご厚情は死ぬまで忘れません。私マスダは幸せ者でした。
今ようやく長い旅が終わり本の世界に帰って来た気がしている。
追記
もしこんなブログにも継続的にお読み頂いている読者の方々がいるとするならば、今回の決断に至った経緯と理由はきちんとお知らせする義務があると考えました。一方的に突然終了を告知するだけではあまりに無責任すぎます。
10月11日のコンサートがともかく終わりましたら、このブログ上で何故にブログ終了に至ったのかきちんと説明責任は果たします。宜しかったらお読み下さい。またそのとき今後のことについてもお知らせいたします。
突然のお知らせで申し訳ありません。
諸般の事情でやむをえず終わりにすることとしました。
長い間ご愛読ありがとうございました。
お元気でしたらどこかでいつかまたお会いしましょう。
本当に長い間のお付き合い有難うございました。 ごめんなさい。
マスダ昭哲 2010年 10月3日
幕の内弁当的コンサートの価値とその意義
9月末日、雨の木曜日である。外はしとしと朝から雨が降っている。
今月は前半は夏の続きの猛暑、中ほどから一転して気温が急に下がり涼しくなった。今では晩秋の気候となって肌寒い。一昨日夜の新宿を歩いていたら街行く女性にはコートやマフラーしている人もいた。これでは老人ならずとも体調を崩す人も多いだろう。自分も鼻風邪気味ではあるが、気持ちは萎えていない。
さて、
10月11日の木馬亭、
フォークロアセンター40周年記念コンサートまで残すは10日ばかりとなった。これからたぶん、出かけられれば連日出歩く日が続く。ともかく人に会い、チラシを渡してコンサートに来てくれるよう宣伝お願いしていくしかない。
前日夜まで全力を尽くして宣伝活動が続く。人事を尽くして天命を待つだけである。ぜひコンサート多くの人に来てもらい、皆の喜ぶ、満足のいく顔が見たいと思う。今はお金のことよりもいかに沢山の音楽ファンが来てくれるか、集められるかそのことしか頭にない。
自分にとっても出演者たちにとっても絶対二度とない一日限りのコンサートである。それは観客にとっても同じことなのだが、残念ながらまだそれは多くのフォークファンに伝わっていない。私感だが、高田渡生誕会も終わってしまった今、もはや東京では、こうしたオムニバス的コンサートは今後企画されないのではないかと思う。もちろん、高田渡級のシンガーが亡くなれば、また追悼イベントは行われるはずであるが。
去年、今年と続いてきた隅田川フォークフェスはあるが、それもこの木馬亭の成功如何で、来年はどうなるかわからない。正直なところ、今の時代、こうしたオムニバス的、多くのシンガーが一堂に出るライブイベントは難しいのかなあともこのところ考えている。昔はやたらあちこちで、フォークジャンボリー的お祭りコンサートはあったものだが隔世の感がある。小衆の時代とはいったもので、音楽ファンも分散してしまっているようだ。
今の音楽ファンというのは、好きになったアーチストならば追っかけ的にどこにでも常に観に行くが、それがソロライブではなく、対バンとか、他のミュージシャンと二組共演でも、単独でないなら行かないからと先日某シンガーからお聴きした。また、通の音楽ファンは、お目当てのアーチストのライブに他のミュージシャン、前座というか、オープニングアクトがあると嫌がるという話もライブハウスオーナーから知らされた。そうした気持ちはわからなくもないし、それもまたファン気質なのだろうと思うが、自分はそうではない。たぶんそういう方は音楽のファンではないように思う。
でもそれは元々その人の持つ気質、性格傾向なのかもしれない。というのは、ヘンな例えだが、外食に当っても、常に一品おかずの定食よりも、盛り合わせ的あれこれ少量でも多彩な品数が盛ってあるセットを好む。つまり弁当で言えば、幕の内弁当が好きである。
初めての中華料理屋に入れば、できるだけ多くそこの料理を食べてみたいと考える。ならば、チャーハンとかラーメンなど一品料理ではなく、それに+してライス&ギョーザのセットとか、あれこれ少量でもいろいろ食べられる盛り合わせ的なセットを必ず注文する。知り合いには常にチャーハンだけを頼んでもくもくとひたすら食べる奴がいるが、自分には理解できない。まあ、それはその人の好みであり、そもそもの気質なのだからとやかく言うのは間違いであろう。
しかし、コンサートにおいての話に戻すと、今も続いている大阪春の一大名物イベント、福岡風太がプロデュースする「春一番コンサート」は、まさに幕の内弁当的、多彩な音楽の見本市的フェスであり、約15分から20分の持ち時間で一日に何十組ものアーチストが次々登場する。自分は十代の頃から通いつめ、その楽しさと多彩さに大きな衝撃を受けた。春一番で新たに知ってファンになったアーチストも数多い。その思いが今回の両国フォークロアセンターの記念コンサートにそのまま繋がっていることを告白しておかねばならない。これはフォークロアセンターの40年を記念するコンサートであるが、自分にとっては東京版春一番だとの思いもある。尊敬する風太氏の足元にも及ばないが、憧れをカタチにしてみたというわけだ。
※長くなったので続きはもう一回書きます。
★今年7月の隅田川フォークフェスの1シーン。