古本屋の可能性を考えた有意義な一日 今日は、増坊にとってネット古本屋の師匠である北尾トロさんのトーク&サイン会が、お茶の水駿河台下の三省堂本店であったので、何をさておいても顔を出してきた。早速その話をしよう。
あちこちに、「師匠」と仰ぐ人はいるが、ネット古書店の世界において師匠と言えば、まず第一に北尾トロ氏を挙げないわけにはいかない。
彼こそがパソコンを使えば、実店舗のない個人でも「古本屋」ができるという、インターネット上のオンライン古本屋の先駆けであり、彼の著書に出会わなければ、自分もネット古本屋など始めようとはまず思わなかったであろうから、その「師匠」の新刊出版記念のイベントがあると聞けば、不肖の弟子としては駆けつけないわけにはいかないのである。
会場の三省堂の八階特設ホールでは、午後3時の開始を前に、いかにも古本好き風な中年層がちらほら集まっていた。そのうち若い女性の姿もかなり見受けられ、おそらく宣伝などほとんどしていないにも関わらず、古書好きの幅広いネットワークがあることが覗われた。
今日のトーク&サイン会は、風塵社より彼がこの初夏に出した新刊「ぶらぶらヂンヂン古書の旅」という本の宣伝を兼ねて、「古本についてぶらぶら語ろう」との題の元に、彼の盟友、西荻でのブックカフェの先駆け、元ハートランドの斉木氏も交えて、新刊についてだけではなく、彼らが英国やベルギーの「本の町」を探訪時の話や長野県高遠での、既に開店した「本の家」のことまで、幅広く古本に関する彼の精力的な活動がプロジェクターで画像紹介がてらユーモアを交えて語られ、参加者として大いに刺激を受けた。本を売ることのこれからのあり方について深く考えさせられた大変有意気な一日であった。

★北尾氏(右)と、斉木氏(中)。左の女性は風塵社の司会進行のマタンゴ嬢。
このところ、このブログ、クソ長いので反省しました。今回は短めに。当日、増坊が考えたことなどは、後ほど改めて書き込みます。

★1998年 晶文社刊 ¥1900
まず第1冊目は、月の輪さんから先にも書いたが古本屋の主人が自ら書いた本というのも意外にこの世にはかなりの数ある。これから少しづつだけれど、このブログで紹介していきたい。で、まず第1冊目として、東京大田区、蒲田近く蓮沼にある「月の輪書林」の高橋徹さんの本から紹介していきます。
著者は岡山県出身で、店名は故郷の古墳の名前からつけたという。父の転勤で1970年、小学6年の秋に東京にやってきて、都立井草高校から日大芸術学部に進学したものの、2ヵ月で中退。以後映画製作の現場に関わり、87年から3年半古本屋で店員として修行ののち、1990年秋、退職時に手元にあった金100万円で、池上線蓮沼駅近くの夜逃げした中華料理店の店を残骸のまま借りて、自ら改装し直し古本屋を開業した。32歳のときで初日の売り上げは100円だった。本書はそんな彼の今日(1998年)までの古本屋の日常を日記形式で、ときに回想を交え綴ったもの。最初から結論を言ってしまうが、ともかくオモシロイ!古本好き、古本屋好き、そして古本屋を志す人必読の書である。
ブックオフなどでセドリして来てはネットで上乗せして出品し小遣い銭を稼ぐなど誰もが気軽に「古本屋さんごっこ」を楽しめるようになった今日だが、案外“本当の古本屋さん”の日常というのは知られていないのではないだろうか。特に、店売りだけで商いをしている単純な店の主人ではなく、自家製の古書目録を作り、通信販売で自らのお眼鏡に適った本を売っていく、昔ながらの古本屋の実態は、誰かが記さない限り決して表舞台には出てこないから同業者以外知る人もいないはずだ。本書では、自家目録にかけては内容その冊数ともに驚天動地の目録作りで、斯界にその名が轟く著者自らの、その舞台裏や喜怒哀楽日々揺れ動く繊細な内面がいきいきと記されている。
彼曰く「消えた人、消された人、忘れ去られた人。本が人であるなら、古い本からひとりでも魅力ある人物を見つけ出し再評価したい」。これをモットーに自家目録「私家版・安田武」「古川三樹松散歩」「美的放浪者・竹中労」が生み出された。彼の凄いところは一人の人に入れ込むと、その知人、交友関係からその生きた時代背景、関係するすべてのものを探し集めていく。そして、結果としてその数が1万冊をゆうに超え、目録という名の一冊の本ができてしまうのだ。思わず笑ってしまうのは、どうしてもその目録に載せたい、つまり売りたい本が手元にない場合、結果、その題名を載せた上で「未入手」と断っておくこともあるそうで、そうなると、まさしく本末転倒である。まあ、それぐらい目録作りにかける情熱が強い人で、当然市場ではいかに狙った本の山を競り落とすか、その苦心談、失敗談も正直に語られて興味深い。
山口昌男が本書に寄せて、巻頭に推薦文を寄せているが、それを転載させてもらおう。著者を語るにこれぐらい的確な言葉はない。
「世には真剣師ということばはあるが、古本屋の世界にこうした人種を求めるとすれば月の輪・高橋徹をおいて他にはない。」
何度でも言う。古本を愛する人、古本屋を志す人必読の書である。増坊も自家目録作りや、セドリなどではなく実際に市場へ行って自分でも本を競り落としてみたくなってうずうずしてしまった。
古本屋の書いた本 について書く前に えーと、昨日はまたバカな恥ずかしい写真を公開して後悔している。毎日ブログを書いているわけだが、いつしか流れがまた「ダメ」の方へ向かっているようなので、ここらで気を引き締めて軌道修正しないといけない。ただ、明日は高田渡の追悼コンサートへ書肆ノワールの店主と参列する予定なので、体調も整えなくてはならないので健康のためにブログも控えめにしないと。
何しろ昼から始めて、終わるのが夜の7時?8時になるとの話なのだから。
さて、ネット古書店ではなく、本当の店舗在る古本屋というのを誰もが知っているだろう。たいていは店頭に均一棚などを並べ、狭い店内にはびっしり壁も通路もどこもかしこ本棚が並んで、銭湯の番台のようにカウンターが真ん中にあり、オヤジやオバさんが店番をしているという…。こうした店を古本屋としてイメージすると、古本屋とは、古本を市場で仕入れ、あるいは、客から買い取りをして、そうした本を自分の店で売っている商いだと思うに違いない。間違ってはいない。だが、古本屋とはそれだけではなく、もっともっと奥の深い商売なのだ。
ご存知かどうかわからないが、この世にはヘンな古本屋の店もある。店を開けるのも遅く、店頭から店内の中まで紐でくくったまま本の束が天井まで山積みになっており、オヤジはいるのかいないのか、奥でごそごそ何やらやってろくに店番もしていない。客が来ようがほとんど応対する気もないようで、果たしてこんなで店として成り立つのかこっちが心配してしまうような…。
筆者もこうした古本屋をいくつか知っている。昔から不思議だった倉庫のような店。でも今はわかる。こうした店は店頭売りではなく目録販売中心の店なのだ。
目録とは何か。要するに通信販売のことであり、古本屋にとって、店売りでは来てくれる客がその地域に限定されることもあり、例えば季節ごとなどに自店で集めたある程度高く値のつく本を並べて冊子にして印刷し、自家目録を作って顧客に、つまりお得意さまの大学の先生とか好事家に配布し、そこから注文を取るのである。昔の中央線沿線の古本屋リストを見ると、そのリストには掲載されているのに店舗無し、と記載されている店がかなりあるのに気がつく。つまりそうした店は、古書店ではあるわけだが、店売りはせずに主に目録販売のみで生計を立てているというわけなのだ。
高円寺の芳雅堂主人・出久根達郎氏もかつては店売りの他にそうした自家目録を出していて、その目録に付けた“解説”が話題となり、しだいに作家にシフトしていったと聞く。目録を出している店と、店売りだけの店とどちらが古本屋として格が上なのか、筆者はわからない。ただ、目録を出せるということは古本屋としてそれだけ“力”がある――体力、資力、行動力、知識などあらゆる意味での力――ということは間違いなく、多くの古本屋にとって自家目録を出すことはいわば憧れでもあるのだ。そしてそうした目録づくりに関して、今日でも伝説的な古本屋がいる。蒲田の月の輪書林の店主・高橋徹さんだ。何しろその目録に載せる点数が尋常ではない。一冊の自家目録ごとに万を超える数の本を扱う古本界の超人なのである。その彼の書いた本についてふれていくことにしたい。
古本屋の書いた本とは さて、とーとつだけれど、ここらで古本屋の本について新たに章をさきたい。
古本を扱うのが生業である古本屋は、元より古本が、いや、本が好きだから古本屋という商売を始めたのだろう。代々家が古本屋でいやいや家業を継いだという御仁もいるかもしれないが、一応職業選択の自由の現代だから、本がまず好きだから本に関わる仕事としてこの仕事を選んだに違いない。ということは、当然自らも筆を執って「本」を書いたとしてもおかしくはないし、おそらく古本屋の多くがいつの日か自分でも本を出す憧れを抱いているに違いない。
実際、古本屋から作家になった人も古くは江戸川乱歩から、新しいところで出久根達郎まで、沢山ではないが何人か思い浮かぶ。ただ、編集者からのそれに比べると圧倒的に少なく、同じく本の裏方稼業にしても、出版を戦争に見た立てれば、編集者が後方支援の兵站という“現役”であるのに対し、古本屋などは、民間人でないにせよ、“退役軍人”のようなもので、なかなか一線にはおいそれとは出られないのである。
それでも古本屋の書いた本はかなりある。ただ、出久根氏のようにベストセラーになることはまずないし、本の多くは大方旧来の古本屋の主人のように衒学的で、古本屋として知り得た専門知識を開陳するという専門書、研究書の域を逃れなかった。ところが、近年、そうした従来の古本屋の書いた本とは全く違う、古本屋の主人となった著者による、同時進行的ドキュメンタリーとして、その経緯や考えたこと、思ったことを日記的に綴った自伝的体験本がこのところ数多く出ている。特にインターネットの普及により、今や誰でもネット上でオンラインの店を持ち古本屋を簡単に開けるようになった。そうした体験的古本屋本のさきがけが、先日、筑摩文庫にも収録された北尾トロ著『ぼくはオンライン古本屋のおやじさん』であり、以降続々と新規参入古本屋の書いた体験的告白本?が生まれた。そこには、従来のような衒学的蘊蓄はほとんどなく、極めて率直に失敗や迷い、悩みが、そして古本屋の喜びがありのままに描かれている。
これらの本を通して本好きな人、古本屋に憧れる者は古本屋の世界に気軽に飛び込めるようになったと思う。そこで、こうした新・古本屋の書いた本を中心に一冊ごと紹介していこうと思う。